「ちょっと見方が違う、羽生結弦くんの北京オリンピック・フィギュア・男子フリーの顛末」

  皇帝・プルシェンコさんが君臨していた頃、オカッパ頭の可愛い少年が横でチョロチョロしていた時には、私は羽生くんのフアンでも何でもなかった。
 その頃は兎に角、男臭くて明るい高橋大輔さんが大好きだったからである。
 どの大会だったか忘れたが、あのセクシーなモロゾフコーチが、何時の大会でもチョコッと転倒する大ちゃんが、珍しく失敗しないで滑りきると、選手が涙ぐむのならばわかるが、横の大ちゃんはニコニコ顔なのに、コーチのモロゾフさんが涙を滂沱と流したのだった。
 ほとんど号泣だった。
 コーチの方がこんなに感情をあらわにするのは見たことがなかったので、驚いた。
 コーチにとって、選手の成功は何よりも代えがたい喜びなのだろう。
 大輔くんの完璧な演技は珍しかったので、ブルーレイでちゃんと録画してあったのに、ある日、他番組の消去の時に、間違ってモロゾフさんの大泣きも消してしまったのである。
 かえすがえす惜しいことをした。
 近頃、モロゾフさんの姿を見ない。引退なさったのか?
 で、今回の男子フィギュアスケート・フリーの話である。
 メディアも、そこに出てくるコメンテーターたちも、奥歯に挟まったように、羽生くんの失速について発言しにくそうに言う。
 メダルを取ってないので絶賛するわけにもいかず、かといって、王者・羽生を傷つけてもいかず、との自己撞着である。
 一番自然体なのは羽生くん自身だ。メンタルが強い青年だと思う。
 だが、私は彼が、「報われない努力だった」、「上手くいかないことだらけだった」とインタビューに珍しく(こぼした)ことに、心から同情した。
 どんなにつらいことが多かったか、と推察できた。
 それでも追いかけるカメラにはちゃんと向き合い、カーテンの影に隠れて逃れたいに違いないのに、笑顔で対応した青年はまことに立派である。
 私は、最初のQアクセルが転倒で終わった時から、もう、目をつぶってしまったから。まるで親心のように見るのに忍びなくて、胸もドキドキと早打ちした。
 しかし、羽生くんは投げ出さずに最後まで滑り切った。
 その直後に、友人からのスマホが鳴って、「しょうがないわね」とお互いに言い合い、慰め合ったのである。ただの観客なのに!
 ここで、本題だ。
 羽生くんが演技を終わってKiss & Cryに座った時に、私は衝撃を受けた。
 彼はただ1人で座っていたからである。普通、コーチや育てた人が横に座っているのに、羽生くんはたった1人だった。
 なんで? と思った。
 ブライアン・オーサーさんとは、2012年からコーチを頼み、2014年のソチ五輪、2018年の平昌五輪といつもピッタリ一緒にいて、ものすごく相思相愛の師弟関係に見えたのに、何で今回はいないのか。
  チャ・ジュンファン(韓国の車)には付きっ切りだったオーサーさんが、ネット情報によれば、4日に共同通信の記者に対して、「今回は羽生のリンクサイドには立たない」と答えたという。
  羽生くんもカナダの拠点から国内に戻したという報道は以前聞いたので、2人の間に何か確執があったのか。孤独にKiss & Cryに座った羽生くんのことを、誰も触れないから私は違和感があった。彼は孤独に戦ったのである。
  赤ら顔のオーサーさんと摩擦があったか、あるいはQアクセル挑戦で意見が合わなかったのか? 素人にはわからないが、私はイの壱番に心惹かれた事件だった。
  何方かに教えてもらいたい。
  あんなに性格の優しい羽生くんがコーチと対立するなんてどういうことだったのだろう。
  宇野昌磨くんのコーチのステファン・ランビエールさんが、コロナで中々来られなかったのとは全く違う。折角のオリンピックの時に、愛弟子のコーチとして、同じリンクにいるのに知らんぷりとは、残酷ではないか。
  
 さて、ここでまたドーピングの話が出た。
 生真面目な日本人には関係ないことだが、またまた、フィギュアスケート選手のドーピング疑惑が伝えられている。
 まだ、たった15歳のカミラ・ワリエワちゃんの検体から、禁止薬物の心筋梗塞などの治療に使われるトリメタジジンが検出されたと報じられた。日本オリンピック委員会の関係者は、「健康な15歳が誤飲することは普通あり得ない」と言っている。
 結論はまだ出ていないが、昔は国ぐるみでドーピングをやっていたロシア。本人が知らない間に飲まされていたということはないのか?
 ワリエワさんがたった1人だけ90点台を団体戦で出した時にも、私はあまり感動しなかった。何故ならば、彼女の細い細い全身を見ていると、美しいというよりは不気味さの方が強かったから。思春期なのにジャンプに有利な細身の維持を強制されてはいない?
 何となく、作られた人工人形のような肉体に、わずかな失敗で泣き顔になった反応は、恐らく高得点を出したとしても、相当、後で叱責されるのだろうと思えたからである。サイボーグとは言わないが、操られている人形のような不自然さを感じた。
 フィギュアスケートのような採点競技が、際限もなく難易度を上げ、薬物を使っても勝ちたいと考える傾向はとどまるところがない。羽生くんのように、「神の領域」まで人力で努力する選手はともかく、指導者や国家が、もし、不正に加担したりしたら、それは業界の将来に暗雲をもたらす結果になる。どうして、そういうことがわからないのであろうか。
 (2022.2.11.)
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