「三谷幸喜さんと安住紳一郎さんのプレトークを聞いて思い出したこと」

 いつもは見ない『情報7DAYSニュースキャスター』(TBS)をたまたまつけたら、三谷幸喜さんと安住紳一郎さんが、番組開始に先立ってプレトークをしていた。
 この日は7月の8日(土)で、なんと三谷さんの62回目のお誕生日であった。
 三谷さんは日大芸術学部演劇科出身の才人である。
 ご誕生は1961年である。つまり、昭和36年であり、国を挙げての世情騒然たる60年安保闘争があった昭和35年の翌年のことである。
 人間、自分が生まれる前のことに関心がないのは世の常で、TBSの役員待遇にまで出世した安住紳一郎さんですら、ご多分に漏れずだと見聞きして驚いた。
 三谷さんのお誕生日当日ということで、安住さんが言った。
 「当時のVTRをご用意してあります」と言いながら、白黒で1961年当時の街の模様を映した映像が紹介されたのであるが。
 安住さんは、「終戦直後のようですねえ」とか何とか、まるで、大昔のようにコメントするのだが、あなた、少々勉強不足ではない?
 1961年から遡る5年も前に、既に政府の経済白書で、有名な言葉が語られている。
 『もはや戦後ではない』である。
 昭和20年の終戦の年から10年経って、日本が経済成長を遂げ始めたころ、自信を取り戻しつつあった日本政府は、高らかに『もはや戦後ではない』と経済白書で宣言したのである。筆者もこの言葉をよく覚えている。何しろ、1961年は大学を卒業した年だから。
 安住さんは、当時のことをまるで明治時代か大正時代のように、「色がついていないVTR」と紹介なさったが、VTRは確かにモノクロでも、映像自体は既に現代と変わらなかった。
 1939年にアメリカで封切られた大傑作の映画、『風と共に去りぬ』は、当時の言葉で総天然色であったし、これは戦後日本に輸入された時に、筆者は小屋で10回ぐらい見ている。
 1961年にモノクロ映像しかなかったことはあり得ない。安住さんもVTR限定でおっしゃったのであろうが。
 また、三谷さんがお生まれになった時に、病院ではなく自宅で出産されたそうで、安住さんは「お金持ちだったのですね」と持ち上げたのだが、それは三谷さんのお宅が資産家で、自宅のお部屋にクーラーがついていたからというニュアンスであった。
  反対に病院にクーラーがなかったとか。
  そうかなあ。
  筆者は大学卒業の年に虫垂炎に罹って、大学病院で手術したのだが、クーラーは確かついていたぞ。
 妙に覚えているのは、費用がちょうど9,000円であったこと。それでも新卒のOLには大金で、大阪に赴任していた次兄がわざわざ来てくれ、支払ってくれた。
  彼は東大の経済学部を卒業後、後のユニチカ、当時は大日本紡績に入社し、結構出世したのである。
  1964年の東京オリンピックの年に、ニチボー貝塚の「東洋の魔女」たちが、バレーボールでソ連(当時)をやっつけて金メダルを獲った。
 ニチボーの社員であった筆者の兄から、いろいろな自慢話を聞いたものである。
  負けたソ連のルイスカルが、ドアを閉めてから「ウォーッ」と猛獣のように吠え泣きをしたのは有名な話である。
  そこで自然に1961年の前の年・1960年の安保闘争について語らねばならない。
何故なら、何所かに書いたが、安保闘争で唯一国会の南通用門の中で亡くなった東大女子学生、樺美智子さんはその時代の、今でいうアイキャッチャーであったので触れないわけにはいかないからだ。彼女は筆者と同学年のオルグであった。
  筆者は完全なナマクラ・ノンポリ学生で政治活動など関心がなかったが、樺美智子さんは確信犯の闘争家であった。
  毎朝、授業が始まる5分ぐらい前に各教室を回ってきて、演説をする。
  政治活動に関心のなかった筆者は彼女の話があまりよく理解できず、右から左に聞き流したが、美人で一途な彼女のような生き方もある意味で羨ましかった。
  国会南通用門突入で圧死したと言われる樺美智子さんと、どういうわけか死の2時間前まで筆者は腕を組んでいて、それがメディアに撮られた。
  偶然そうなっただけなのに、筆者も活動家と見られてメディアに探されたが、幸い突き止められなかったので助かったのである。
  あの頃は、ナマクラなノンポリ学生でも、「安保改定反対!」と叫んで、デモに参加するのが当たり前であった。
  先日、一周忌法要が営まれた元総理大臣の安倍晋三さんのおじい様、岸信介さんを、安保改定反対の学生たちはゲジゲジのように嫌った。 
  筆者も彼は苦手だった。高ビーな方だったのである。
  安倍晋三さんはおじい様を大変尊敬していらしたと何かで読んだことがある。
  樺美智子さんが亡くなった当時は、6月15日の命日に、どこかのメディアが取り上げたが、日本がお金持ちになって右傾化してからは「樺美智子、何、それ」である。
  時代は変わったのだ。
  人気ナンバーワンの安住紳一郎さんが、この時代のことに無関心でも、それは当然なのかもしれない。
  三谷幸喜さんと安住紳一郎さん。当代の大人気者2人に共通するのは、優しい非闘争型とでも表現出来ようか。およそデモの時代には人気者にならないタイプである。
  世界の彼方で毎日多くの兵隊さんが亡くなっているこの時代に、優しいタイプの人気者が、局の看板番組にダブルキャスターとして登場するこの国は、平和で幸せと言えるが、それでも、先の首相が暗殺されたのだ。
  キナ臭さに変わりがないとも言える。(2023.7.11)。
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