10月18日、朝、リビングの窓際のソファの陽だまりの中で、毎日新聞の社会面(26ページ)を何気なく見ていたら、筆者は突然、ギョッとなった。
『鶴橋康夫さん83歳(つるはし・やすお=演出家、映画監督)17日までに死去。』というベタ記事があった。たった13行の写真も付いていない訃報である。
何という事だ。あの「鶴ちゃん」が亡くなっただって?
ついこの前、週刊誌の筆者のコラムに、以前、挿絵カットを書き続けてくださった漫画家の所ゆきよしさんがお亡くなりになり、奥様と久しぶりに長々と電話でお話をさせていただいたばかりなのに、今度は、あの「鶴ちゃん」が亡くなった?! 悲しすぎる。
大監督を「ちゃん」呼ばわりとはと叱られそうだが、鶴橋さんとは40年以上もの演出家と批評家の付き合いがあったのだ。今は亡き大評論家の佐怒賀三夫さんと3人には得も言われぬ絆もあった。
これは佐怒賀さんの発言についてのWEB記事の引用であるが、彼は鶴橋ドラマについて、「事象をただ単一的な目で見ず、人間心理にまで入り込んで抽出して映像を心理的な遠近法でとらえている。最初から映像表現の可能性と多様性を知っている」との評価だった。
さすがは1流の佐怒賀さんらしい批評である。
垢抜けたお洒落な佐怒賀さんと、鶴橋作品の話をする時は、筆者にとって至福の時間だった。
さて、鶴橋さんが35歳の時、勤務先の読売テレビで、連続テレビドラマ『新車の中の女』12回が作られることになり、彼に演出が任された。
これは鶴ちゃんと2人で食事をした時に、彼から直接聞いた話であるから都市伝説ではない。
『新車の中の女』の主演は大スターの浅丘ルリ子さんだったのだが、鶴橋さんが仕事をしている場所に、浅丘さんが偵察に来たのだそうだ。
どういうことかと言えば、新人の鶴橋さんの力量を確かめるために、鶴橋さんが別の作品の演出をしている場所に、彼女がお忍びで見にいらしたのである。さすが、大スター。
鶴橋さんは何十年も経ってから、筆者にそのことを話してくださったところを見ると、当時は結構気になった顛末だったのだろう。
その後、才能豊かな鶴橋さんは、アッという間に有名ディレクターに成長し、浅丘さん主演の名作も作った。彼こそビッグネームになったのである。
ごく1部の作品を列挙すると・・・。
『五辯の椿』(芸術選奨文部大臣新人賞)、
『かげろうの死』(芸術選奨新人賞)、
『仮の宿なるを』(芸術祭優秀賞)、
『愛の世界』(放送文化基金賞ほか)、
『雀色時』(芸術作品賞)、
『刑事たちの夏』(ギャラクシー大賞、日本民間放送連盟最優秀賞ほか)、
『砦なき者』(芸術選奨文部科学大臣賞ほか)、
『永遠の仔』(ATP賞ドラマ部門最優秀賞)などなど、鶴橋さんは名うての賞取り男、芸術祭男と
なったのである。
筆者は彼の作品は映画以外、ほとんど見させてもらった。
最初のワンシーンで、「ああ、鶴橋さんの世界だ」と思わせた。
流麗なカメラ、ねっとりしているが、どこかすがすがしさもある画面、男と女の得もいわれぬ愛憎を、饒舌でなく描く。
例えば、潔癖症の女がやたらに洗面台で手を洗う。浅丘さんの華奢な細い指を、鶴橋さんは執拗にカメラで追う。そのたった1シーンで股間が濡れるような色気を感じさせた。
読売テレビが主催したシナリオのコンクールで、筆者は審査員の1人として呼ばれたことがあった。「ぎいっちゃん」こと藤本義一さんや、内館牧子さんら数人だった。
鶴橋さんのご推薦だったらしいが、「ぎいっちゃん」の印象が強烈で、作品のその後はあまり覚えていない。
思えば、筆者は鶴橋さんに随分いろいろお世話になっていたのである。
お世話になったと言えば、大有名監督だった彼に、筆者は随分無理な注文をした。
『ぶるうかなりや』(2005年、WOWOW)という作品の音楽を、ピアニストである愚息が担当させていただいたのは、若者に対する彼の優しさのしからしむるところだったと思う。
また、学士会館で行った息子の結婚式に、鶴橋さんを主賓の1人でお呼びした。
彼はその時、山の方でロケ撮影をしていらしたのに、わざわざ駆けつけてくださったのである。
スピーチに立った彼は、いかにも部下たちを睥睨する大監督らしく、くだけた話で笑わせた。「20
万円までなら貸してあげるよ」とか何とか、筆者は末席だったのでよく聞こえなかったが、会場で受けていた。
彼はご家族思いだった。
彼より早く亡くなられた弟さんのことをよく話された。優しい優しいご長男だったのだろう。新潟のご実家のことやご兄弟について、いろんなお話を伺った。
だからというわけではないだろうが、わが家族についても心を寄せてくださった。
2021年に夫が亡くなった時、ここ数年、お付き合いが途絶えていたのに、わざわざ直筆のご挨拶をいただいた。彼らしい豪快な筆ペンでお書きになったお手紙が添えられてあって感激した。
また、毎年下さるお年賀状も、素晴らしかった。
筆ペンで書かれた歌と絵、あのサングラスの「鶴ちゃん」そのままの、豪快で、どこか素朴で田舎っぽい絵葉書。おおよそ彼が作る映像作品の洗練された画面とは異なる。
彼が生み出す作品と「地」の彼とのギャップは不思議である。でもわからなくはない。
敢えて説明をするのはやめる。
「天才ディレクターの鶴橋康夫さま
素晴らしい作品を生み出してくださいまして、ありがとうございました」合掌。
(2023.10.20.)。
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