「映画『九十歳。何がめでたい』が大ヒット中だそうだが、これは、非常に恵まれたお年寄りの話で、年金暮らしで、連れ合いに先立たれて孤独な後期高齢者には、辛い内容である」

 筆者は佐藤愛子さんが好きである。
 佐藤さんは『九十歳。何がめでたい』の原作エッセイの作者である。
 直木賞をはじめ数々の文学賞を受賞なさった大作家であるし、超高齢(101歳)でいらっしゃるのに、薄汚いおばあさんとは無縁の、笑顔が可愛らしいご婦人で、ナヨナヨしていないところが素晴らしい。
 佐藤愛子さんは世の中を作家らしい辛辣な目で、しかも、ユーモアのセンスをもって見つめてきたので、「女、女」を描く、いわゆる女流作家が苦手な筆者でも抵抗がないのである(失礼いたしました、笑)。
 その彼女のエッセイが原作だというので、筆者も、今のスマホだらけの世の中の、若者文化をやっつけているのだろうと見に行ったのだが・・・。
 残念ながら期待は裏切られてしまった。
 映画の出来(監督・前田哲)が悪いと言う意味では決してないが、若者批判、世情批判はあまり出てこない。
 期待外れの理由の1つ。
 そもそも、佐藤さんは普通のご家系のお育ちではない。
 お父様が有名な作家の佐藤紅緑さんであり、異母兄とはいえ、お兄様はこれまた有名な詩人のサトウハチローさんである。筆者は少女時代、サトウハチローさんの小説、『ポロンポロン物語』を愛読したものだ。
 佐藤紅緑さんが女にモテたらしくて、奥様が激しく代わっていたり、愛人がいたりと普通の家庭とは異なるし、愛子さんは恐らく小さい時からお嬢さま育ちであったのだろう。
 そのまま、ご本人も人気作家になられたのであるから、とても平凡な家族とは異なる。
 だから、主人公が普通の高齢者とは言えない。
 映画の中で、主人公は大豪邸の1戸建てに住み、1階部分に豪華な執筆室がある。
 2階には娘さん1家が住んでいて、何かというと実の娘・響子(真矢みき)と孫娘が階段から覗く。
 年寄りの孤独とは無縁の、家族に囲まれた幸せそうな日常である。
 世の中1般の後期高齢者はわずかな年金暮らしで、賃貸住居に住み、子供がいたとしても同居などしていない。
 下手をすると男の子なら、その嫁と仲が悪くて、子供1家は祖父母の家に寄り付きもしないし、病気になっても嫁は見舞いの電話1本掛けてこない。
 人生の終盤にきて、悲しいほど孤独なお年寄りが多いのが今だ。
 昔の様に大家族で住めない。
  地方の農家ならいざ知らず、特に都会では核家族が普通である。
 昔の様に高齢者に対する尊敬の念など皆無で、1つでも年が若い方がいいとされる。
 若年の人口減少で、高齢者は「年金喰い」と悪者扱いだ。
 営々と若い時に掛け金を払い続けたことなど、忘れられている。
 さて、ここで映画のあらすじを書いておくと。
 妻(木村多江)に三行半を突きつけられている窓際の編集者・吉川真也(唐沢寿明)は、作家の佐藤愛子先生(草笛光子)を訪ねて原稿依頼をする。 
 愛子先生は「私はもう書くのを辞めたの」と断固として断る。
 訪ねても訪ねても原稿を断わる愛子先生だったが、吉川が持参した土産のお菓子だけはちゃっかり受け取る。
 ある時、世情に文句を言う愛子先生に、「そういうことをエッセイに書いてください」と言うと、渋々引き受けてもらえた。
 会社でも白い目で見られていた吉川の仕事が大ヒットする。
 つまり、愛子先生のエッセイ、『九十歳。何がめでたい』がベストセラーになって、他社の編集者が押すな押すなとやってくるようになったのだ。
 お終いは、仕事人間で娘にまで「家族をないがしろにして」と批判されていた吉川が、妻に謝り、離婚はするが、娘のバレエ発表会にも駆け付けて仲直り。愛子先生は勲章を受章してホクホクの記者会見。本屋には『九十歳。何がめでたい』の単行本が平積みとなる。
  映画館で、筆者の隣に座っていた白髪頭の2人づれの女性が、終わってから、不満そうにブツブツと感想を喋っていた。
 「タイトルからして、スマホマニアの若者に頭に来ているから、もっと若いのをやっつけるのかと思ったら、全然ちがったわね」「あんな金持ち、不満はないのよ」と、筆者と同じような感想である。
 「娘さんたちが傍にいるから寂しくないし、ウチは男の子だから、つまんないわ」とこれも筆者と同じ感想である。
  高齢者たちは、主人公が孤独で『何がめでたい』と共感しようと映画を見に来たのだが、裕福で家族もそばにいて、幸せそうな愛子さんに、裏切られたような感想を持ったのに違いない。
  筆者もタイトルとはいささか内容がズレているような気がしたのである。
  主演の草笛光子さんは好演である。
  まだまだお綺麗な上に、少し太った2重顎の横顔が、功成り名遂げた大作家の風格を体現していて、編集者に負けていない迫力もあった。
  筆者は愛子さんの言いたい放題を見ながら、娘さんと同居している彼女が酷く羨ましくなった。女の子を産めばよかった。
  そう思わせたこの映画は大成功だったのかもしれないが、恐らく、作り手と、主たる観客(高齢者)との感覚の違いを認識できるのは、リアルな後期高齢者たちであろう。若い人には想像もつくまい。(2024.6.30.)。
                                  (無断転載禁止)