日曜日の朝っぱらから1時間45分も使って、テレビの前に座りっぱなしで検証番組を視聴したが、はっきり言ってがっかりした。 これじゃあだめだ、フジテレビ。 最初にお詫び挨拶をした社長の清水賢治さんは、実に誠実そうで頭がよさそうで、好感の持てる方であるから、筆者は鋭い検証番組になるだろうと期待したのであるが、大カラ振りであった。 違和感の第1は、取締役相談役だった日枝久さんが全く登場しなかったこと。 それを、この番組の作り手たちは、まるで他人事みたいに、「3回取材を申し込んだが応じなかった」などと言う。 テレビ局だろう、カメラを持っている撮影のプロだろう。 拒否したり、逃げ回る日枝氏の後ろ姿でも、何で映さなかったのか。 未だに彼に忖度しているのか。 はっきり言っておじいさんの日枝さんが、超長きにわたって人事権を持ち、大会社を支配なさったという異様な形の会社の不祥事の検証番組に、彼が登場しないのであれば、全く意味がない。 未だに頭を押さえつけられているように、われわれ外野の人間には、見える。 違和感の第2は、前の社長の港浩一さんと、専務(関西テレビ社長)の大多亮さんや、女性部長の佐々木恭子さんたちは、ばっちり顔を映されて答えているのに、証言者の多くが首から下だけ映すとか、声まで変えている。 若い社員を守る? 後に会社に居づらくなるから? 笑える。 声を変えても、顔を映さなくても、フジテレビの関係者ならば、誰でも全員を知っている筈である。若い社員の保護なんて決してならない。 何でも斜(シャ)をかける、テレビ局の悪しき習慣にすぎない。 港浩一さんや清水賢治さんは面識がないが、大多亮さんや日枝久さんとは、筆者もお目にかかったことが何度かある。 大多さんは大ヒットドラマの有名プロデューサーだったので、業界人のパーティーなどで、よくあのギョロ目に射られた。 日枝さんは、筆者も選考委員の1人だった倉本聰さんの御大葬ドラマで、賞を取られた時に、フジテレビの代表として出て来られた。 お2人とも随分昔から、社を代表するお偉方だったのだ。 さぞかし、今回のみっともない記者会見のやり直しで憮然としていられるであろうが、大向こうのわれわれだって、心底情けないのである。 元気のよかった、かつてのフジテレビはどこへ行った? 女子アナを、まるでキャバ嬢みたいに、若くて見た目の良い女、要するに外貌だけで選別して関係者の酒席に侍らせたと批判もどきに伝えているが、こんなことはフジテレビに限ったことではない。 大昔から、女子の大学卒業生は、知的な能力よりも、男から見た美人度やスタイルの良さや、外的要因だけで選別されたのである。 数十年前、アメリカから伝わってきた〇〇ハラ、つまり、セクハラという概念が認知されて以来、ようやく、女性も女類から人間に扱いが上がったのである。 筆者たちの年代は、「バカでもいいから美人に生まれたかった」のであった。 男社会、もとい、男だけ社会の悪弊なんか、今更どうでもいいが。 さて、ここからは話代わって、コンサート評をひとくさり。 7月1日、東京オペラシティコンサートホールで行われた『クミコスペシャルコンサート』という「シャンソンティックな歌」を聴きに行ってきた。 クミコさんが小編成のアンサンブルとピアノを従えて20曲近く歌った。 「シャンソンティック」とうたっているだけに、純粋のシャンソンはほとんどなくて、筆者は物足りなかった。極め付きの有名シャンソンが聴きたかったのである。 わずか57歳でガンのために憤死したシャンソン好きの友人がいて、銀座のシャンソニエで歌うのを筆者は何度も聴きに行ったのである。 シャンソンというと、友人を思い出して、悲しくなるのだが。 コンサート第1部の最後の2曲は、スペシャルゲストの井上芳雄さんの歌唱で、実に素晴らしかった。ミュージカルナンバーを歌った。 満員の会場の何割かのお客様は、井上君ファンだったはずである。 クミコさんは総銀ラメ入りの純白ロングドレスの上に、薄いグリーンの上着を羽織った素敵なドレス。 後半は真っ黒のノースリーブの夜会服でセンスがとてもよかった。 クミコさんは今年、70歳になるそうで、お客様の1、2割はいた男性客も白髪頭が多かったのだ。 クミコさんはちょっとハスキーなアルトで、歌唱力は素晴らしいが、歌と歌の間に、相当長いお喋りをする。 クラシックではないので、当然、歌はマイク越しなのでよく聞こえる。 筆者の席はS席にも拘らず、後ろから5番目の相当にホール最後部だったので、情けないことに、何故かクミコさんのトークはよく聞こえなかった。 筆者は耳の検査で100点満点だったのであるが、トークが途切れるのでイライラしていたら、井上芳雄さんのお話は100パーセントよく聞こえたのである。 クミコさん、マイクの使い方に難点ありか?(2025.7.7.) (無断転載禁止)