内館さんは長くOLをやっていらしたので、物書きとしては筆者よりずっと後輩だったが、迫力のある方だったので有名だった。17日にお亡くなりになった。
彼女とお話しするようになったのは、読売テレビが主催する新人の脚本コンクールで、選考委員をご一緒してからだった。
大阪の読売テレビ本社で集まって議論したのが懐かしい。
選考委員は5人。
義いっちゃん、こと有名な作家の藤本義一さん。鶴ちゃん、こと大監督の鶴橋康夫さん。
内館牧子さん、大阪の大学の先生、と、筆者の5人である。
藤本、鶴橋、内館さんの3人はもう彼岸の方になってしまった。寂しい。
筆者も十分お仲間に入る年齢なのだが、不思議にヨタヨタしながら、まだ生きている。
寿命こそは神のみぞ知る、だ。
さて、内館さん。
内館さんが丁度、NHKの大河ドラマ『毛利元就』を執筆中で、筆者は某週刊誌にコラムを連載中だった時のことだ。
選考の最中に内館さんは筆者のコラムをお読みになって、言ったもんだ。
「あら、貶されていないわ」だって(笑)。
そりゃそうだ。
一緒に選考委員をしている人のドラマを貶したりは出来ない。
しかし、辛口の筆者としては、奥歯にものの挟まった書き方だったはずである。
ディテールは忘れてしまったが、そのコラムを書いた本人の前で、「あら。貶されていないわ」という発言は、如何にも彼女らしかった。
率直を通り越して、筆者はびっくりしたのである。
秋田(?)式押しの強さと言うべきか、東京人のシャイさなどはヘのカッパ。
その選考会後は、あまりお目にかかることはなかった。
それから随分時が過ぎてから、数年前に、突然、日本橋高島屋の地下、食材売り場で内館さんと遭遇した。
筆者は夫と2人連れ。
内館さんは小柄なお母様と2人連れだった。
大柄な内館さんのお身体が、ご病気なのか、普通ではなかったので驚いた。
それでも、彼女はニコニコしてお母様にご紹介下さった。
筆者はお気の毒で、そそくさと失礼したのである。
OLの後で猛勉強して脚本家になられた。
豪快で立派な女性だった。合掌。
2025年のテレビ界で、最も大問題になったのは、1連のフジテレビの不祥事会見だとするのは、衆目の一致するところだろう。
特に、カメラ撮影を拒否した最初の記者会見の、のほほんとした港社長(当時)の表情が忘れられない。
当時も書いたが、ネットが登場する前の、「そこのけそこのけ王様が通る」と言わんばかりのテレビ人たちの傲慢さが、コテンパンに墜落するシーンを目撃した。
筆者も取材に行ったお台場で、有名ディレクターに思いっきりバカにされたことは書いた。テレビ業界人とは「そんなに偉いのか」とムカついたことは何度もあった。
最近の国分太一さんも、かつての中居正広さんも、ご自分たちは「何でこうなっちゃったのか」と、今でも正確にはわかっていらっしゃらないのではないか。
筆者はちょっとひねているので、見方が違う。
吊るし上げられたタレントさんたちにも責任は大いにあるが、この世界の構造的な問題として、テレビ界とスポンサー界の真ん中にいる、某巨大機関が、大金を儲けて、涼しい顔をしているのが最も悪い。
かと言って、ネット全盛で、テレビや雑誌・新聞が無くなるとは思わない。
全国津々浦々のじいちゃん・ばあちゃんまで、ネットの虜になる時代が来るとは全く思えないからである。
お終いに東宝映画『国宝』の大ヒット。何百億円もの大儲け。おめでとう。
筆者も小屋で見た。
長すぎて疲れたが、絢爛豪華で面白かった。
編年体の後半が、いささか冗長でうんざりしたが、歌舞伎の舞台映像が 素晴らしかった。
筆者もよく歌舞伎は見に行く。『二人娘道成寺』なんか、何度見たか知れないくらい。
吉沢亮くんも横浜流星くんも、美男子で鑑賞に堪えました(笑)。
ちょっと変なことを書くが、わが家族に、若いころ、この吉沢亮くんの横顔とそっくりだった者がいる。
違うところは吉沢くんがお目目パッチリのタイプ、わが親族は一重瞼の違い。
だが、鼻といい顎のしゃくれ方といい、ものすごく似ているのだ。
N区の床屋さんで、「日本一の美男だ」と言われたと臆面もなく喜んでいたが、この吉沢亮くん、筆者は少し物足りない。
性格が物凄く真面目なのではないのか。
だから、もう1つ味が出ない。翳が出ない。
逆に女形舞台で、『曽根崎心中』の道行場面の長ゼリフは、真面目を通り越して必死だったので、とてもよかった。NHKの朝ドラではつまんない役ばかりだった。
今後は真面目を捨てて、美男悪人でも演じてもらいたい(2025.12.30.)。
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