またもや訃報である。
自分がそういう年齢になったという事だろう。
ここ数日、テレビで繰り返し報道されている脚本家の倉本聰さんがお亡くなりになった。
彼は筆者と同じ大学の先輩で、同じ文学部を卒業されたが、在学中は全く接点もなく、美学科とフランス文学科という、およそ関係のない専攻だった。
彼は多分、第2語学はドイツ語を選択なさったと思う。
第2語学はBがドイツ語専攻、Dがフランス語専攻、BとDの間には、学生の間でも何となく距離があった。
筆者は映像批評を長く書いてきたが、制作者の方々や、出演する俳優たちとは意識してお付き合いはしなかったので、卒業してからも、倉本さんを直接は存じ上げなかった。
彼のことは有名脚本家であったから、お名前は知っていたが、ある風評以来関心を持つようになったのである。
ディテールは全く知らないが、大河ドラマの『勝海舟』で、NHKの制作者といざこざがあり、途中で降りられたことを仲間の批評家に聞いた時である。
あまり人様のトラブルに関心がなかったので、今でもどんな経緯かあったかよくは知らない。
倉本さんと言えば、何と言っても『北の国から』(フジテレビ)の大ヒットである。
筆者は当時、週刊誌にテレビ批評のコラムを連載していたので、1回も見逃すことなく視聴した。素敵な作品だった。
純くん(吉岡秀隆)と蛍ちゃん(中嶋朋子)がとても可愛らしく、加えて、吉岡くんと全く同い年の身内がいたので、余計関心があったのである。
筆者の個人的な考えであるが、小説どころか、テレビの脚本でも、書いた作者の人品骨柄が現れるものである。
例えば、同じように売れっ子だったが、脚本家の橋田寿賀子さんがお書きになるものは、品がなかった。反対に倉本作品はどんな階層の人を描いても、作品に品があった。
つまり、脚本家そのものが映し出るのである。
『北の国から』はともかく、倉本作品で筆者が抱腹絶倒して、自分のコラムに取り上げたのは、『6羽のかもめ』(フジテレビ)だった。
これはテレビ業界の裏話で、視聴率はあまり高くなかったそうだが、とにかくめちゃめちゃ面白かった。
1974年から1975年にかけて26回放送された連ドラである。
あんまりおかしいので、筆者は連載していた週刊誌のコラムに、題名をモジって『1羽のかもめ』だったかなあ、賛辞を書いた。
すると、フジテレビのスタッフからお食事に招待されたのである。
何しろ、ドラマはギャグだらけで、放送局の部長さんに扮した中条静夫さんが、右手を上げながら、歌う。
これは、当時、流行っていた、ちあきなおみ さんの『喝采』のギャグだ。
「いつものように、幕が開き・・・」と彼女が歌ったフリの真似なので、見ているわれわれは、「ドヒャヒャヒャッ」と笑ったのである。
超真面目な顔して、こともあろうにテレビ局の部長さんを演じるので、中条静夫さんは、そりゃおかしかったのだ。
他のキャストのことはすっかり忘れてしまったが、付き合い下手の筆者が、唯一テレビ局のご接待に馳せ参じた思い出である。
付け足すと、後に分かったのは、あまりお付き合いのない自宅マンションの、筆者宅の上の階に、こともあろうにフジテレビの方たちが住んでいらしたのであった。びっくり!
ご主人が亡くなられたので、今はもういらっしゃらないが。
このご夫婦は、フジテレビでやっていた『テレビ結婚式?』の第1回のカップルだったそうだ。
さて、倉本聰さんに戻ろう。
『前略おふくろ様』(日本テレビ)は毎回欠かさずに見た。萩原健一さんのちょっとぐれたような板前くんが良かった。
田中絹代さんと言えば、筆者の中では<戦前の人>だったのに、現役のおふくろさんで登場したので吃驚仰天した。笑。
晩年とは言えないが、2017年から2020年に書かれた『やすらぎの郷』(テレビ朝日)は、別の意味でギャグだらけで面白かった。
浅丘ルリ子さん、有馬稲子さん、野際陽子さん、加賀まりこさんら、錚々たる黄金期の女優さんたちを、高級とは言え老人ホームに押し込めたドラマで、倉本さんの深謀遠慮が垣間見えて、毎回大笑いした。
単発で忘れられないのは、『失われた時の流れを』(フジテレビ)である。
最初のシーンが、確か、昭和天皇のご大葬の場面だったと記憶する。
正に、戦時中に小学生だった倉本さんを投影していて、くりくり坊主の子供たちが、疎開先で集団生活をしている。
この作品が数々の表彰を受けたのを記念して、上映会があり、フジテレビ事件で吊るし上げられた会社のボスさまが、終わってから得意そうに登場された場面を、筆者は妙に覚えているのである。
思えば倉本さんは多作家だった。
富良野塾とか、数々の話題を振りまいて、脚本家人生を全うされた。
勲章もゲットされた。
愛煙家なのに長生きなさった。
今頃、八千草薫さんたちと談論風発していらっしゃるだろう。合掌。(2026、9)。
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