上野の東京都美術館展は10月18日までで終わるが、はっきり言って大宣伝に辟易していたので、こんなにどん詰まりまで行かなかった。
ところが、雨続きの日から、突然、秋晴れになって、洗濯物もよく乾く日常に気分がよくなり、つられて絵画展まで行ってみようかと、出かけてしまったのだ。
このところ体調最悪だったし、どうせウンカのごとき観覧客に混じって、何時間もの行列に耐えられるか、全く自信がなかったが、行ってしまった。
わが家からは1時間ちょっとで行ける上野の森は、もう、長い間、足を踏み入れていない。わが家は山の手にあるので、下町の上野の森など、何の用事もないのである。
上野公園の花見なんか死んでも行きたくない人間であるし。
東京文化会館へはコンスタントに音楽会を聴きに昔は行っていたが、あそこが大工事に入り、近頃は都心のサントリーホールも「ノーサンキュー」、もっぱら西新宿のオペラシティにばかり足繁く通っている。
と言うよりも、オペラシティであるコンサートを選んでいるのである。
親友の1人が、大交響楽団のサポートメンバーで、たびたびチケットを下さる。
筆者は音楽会と展覧会は絶対に誰かとは行かない。
連れとぺちゃぺちゃ喋っている観客を見ると張り倒したくなるし、1人黙々と集中して聴きたいし、見たいのだ。
秋晴れの朝8時半頃、出発。
休日とあって、駅前は人が少ない。
私鉄からJR線に乗り換えて、わりに空いている車内で座っていけた上野駅まではあっという間に着いた。昔を知悉している筆者から見れば、様変わりの上野駅である。
外国人が多く、こんな朝っぱらから黒人の家族連れまでがいて、洋服がド派手だ。
駅員さんが立っている筈だ。彼らに道を聞かれるのであろう。
筆者もスマホでわかっているのだが、制帽の若い案内駅員に展覧会のことを聞いてみたら、「ここを真っすぐに行って動物園に突き当たったら右に曲がってください」だって。
昭和20年代からズーッと東京に住み続けている、わずか4%の人間に自分は入っているのだぞ、と腹の中で笑いながら礼を言う。すっかり意地悪ばあさんだ。
上野の森はいつも感じるが、石造りと砂利もどき道が混じっていて歩きにくい。
終わらないから端折る。
会場に入るまでがひと苦労の上に、入ってからがイライラであった。
8列になったり、ロープで囲われた中を、くねくね、くねくね、1列になってヘビのように曲がり曲がりしたりして少しずつ進む。
9時30分だった開門を9時15分に変更されたが、焼け石に水。
結局、トータルで2時間の立ちんぼだった。足が疲れたなんてものじゃない、足が棒!
前売り券を買ってなかったので、入館直後にシニア券を買った。1.600円なり。
結局、予想通りの我慢比べだったが、文化を愛する人々なので、トラブルや煩いお喋りはなく、みんなお行儀が良くて助かった。
しかし、だ。
ようやく入場してからが、もっと大変だったのだ。
プロローグの『大英博物館と「日本」をつないだ貢献者たち』で紹介されるウイリアム・アンダーソンや、アーサー・モリソンの説明などは、高く大きな肖像画に説明文がついていて、読めた。
ところが、いざ屏風絵だの襖絵だのになると、全くダメ。
その意味はこういうこと。
男性ばかりか、最近では日本人の若い女性も、みんなデカい。彼女たちが前列に立つと、筆者は彼女たちの背中かウエスト、下手するとお尻しか見えない。
筆者は小柄なのである。
昔は負け惜しみで「脳みそが詰まっているから重くて伸びなかったのだ」と言っていた。
事実、頭の中身では負けなかったが、背は伸びなかった。笑。
膨大な分量の絵画展なので、いちいち感想は書かない。
多すぎて「うんざりだった」のが正直な感想である。
まあ、やはりピカイチに「これが本物かあ」と感心したのは、葛飾北斎の『富嶽三十六景
凱風快晴』と歌川広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』。
写楽さんや歌麿さんたちが描いた芝居小屋の有名役者の肖像などは、筆者は全く関心がなかったが、歌舞伎座に時々行く自分としては、大フアンの片岡仁左衛門さんの祖先が描かれていて「へーえ」と思った
寛政7年(1795)7月都座の『七代目片岡仁左衛門の才原勘解由』は初代歌川豊国の作だ。今の仁左衛門さんて何代目だったっけ。
特別な感想としては、浮世絵に描かれた面長、極細の糸のような眼などの、東洋人特有のあまり美的とは思えないご面相が、大昔のヨーロッパで何故美術品として高評価されたのかわからない。
確かに、バックの風景を含めて、均整の取れたデフォルメとでも表現しようか、独特の変形写実は、泰西名画の「そのままの写実」よりも、はるかに面白いことではある。
昨年の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(NHK総合)は、半煮えでつまらなかったが、正に写楽や広重や北斎らの活躍する世界を描いていたのだ。
今回の展覧会が、『べらぼう』の直前に開かれていれば、世間の関心はもっと高かったはずだ、などと、余計なことを考えながら、人混みの背中ばかりを見ていたのである。筆者の結論は、「兎に角、疲れたぁ」。(2026.10.12)。
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