数年前、新宿のTOHOシネマズに仕事で取材に行った時、靴が床のササクレだった絨毯に引っかかって、派手に転倒し、大腿骨骨折という重傷を負った。
1カ月も入院して手術の挙句、退院後、主治医のお指図で、「要介護〇〇」という人間になり、それから何カ月も理学療法士やケアマネジャーや、看護師さんたちが自宅に出入りするようになった。
もともと高齢の割に病気持ちではなく、ちょっと血圧が高いので薬は飲んでいるが、病人ではないから、怪我の後のリハビリや歩行訓練などが終わると、この方たちはさっさと来なくなった。
ある時、ケアマネジャーさんに質問した。
「長い間、介護保険料を支払っているのに、以後1銭も利用できなくてソンだわ」というと、
「お掃除とか家事の手伝いとかを頼むことも出来ますよ」とのお答えである。
これ幸いとお願いすることにした。
何故なら、わがマンションは高層ビルではなく、低層の作りで、各戸がそれぞれ1戸建て風に別々の玄関があり、家は3階なので、階段を32段も上り下りなければならないのだ。
週に1度ぐらい来ていただきたい、「怪我は治ったけれど、床の拭き掃除のような這いつくばる作業はまだ辛いのです」というと、早速手配してくださった。
約束の日である。
ケアマネと仕事をしてくれる方と2人で来るのかと思ったら、女性2人と男性1人の3人連れ。
初老の女性は<管理者・サービス提供責任者>と書かれた名刺をくれた。
もう1人の女性は20代に見える若い方だが、ご自分で50歳だと名乗った。
この方の名刺の肩書は<訪問介護者>とある。
しかし、この方が働いてくれるのではなく、この日は来なかったが、別の60代の人がわが家の担当になるそうだ。
いろいろ書類を渡されて小1時間、説明を受けたのである。
介護保険を利用するのも疲れる。
新年になったら、若見えの50歳の方が働く人を連れてきてくださるらしい。やれやれ。
思えば、わが家は長い間、手伝ってくれる人の手当てで疲労困憊だった。
昔は公的な機関がなかったので、お手伝いさんは家政婦会に頼んでいた。筆者が物書きで忙しかったので、苦労が絶えなかった。
子供が生まれる予定日が新年早々だったのだが、風邪を引いて医者にかかったら、これがヤブ医者で、臨月なのにブスッと注射をしたのである。
その晩、予定より10日も早く産気づいてしまった。
退院後、義母はたった1日で帰ってしまうし、夫は新聞記者で夜が遅い。
仕方なく家政婦会に頼んだオバサンが、怖い筋の人の女房だった。
後でわかったことだが、その人の夫は犯罪者で関西に逃げていた。ドスの利いた声で電話がかかってきたが、産後で朦朧としていた筆者は全く気が付かなかった。
そのオバサンが1週間で退職したのち、その月の電話代で仰天!
夫の給料がまだ数万円しかなかったのに、黒電話の1カ月請求書が6,000円だったのである。
つまり、今ならさしずめ30万円の給料のうち、6万円もの電話代!
当時、迂闊な筆者は、赤ちゃんと寝ているだけの自分の目を盗んで、そのお手伝いさんが、どうやってわが家の電話を使ったのであろうかと不審だったが、そうだっ。
関西にいる犯罪者のその家政婦の夫が、総て長距離電話を、わが家の番号にコレクトコールでかけたのに違いなかったのである。口あんぐりだ。
わが家の周辺にはいない世界の人たちだったわけだ。
次に来た家政婦さんには盗癖があった。
夫がプレゼントしてくれた華やかな折り畳み傘がなくなったのだ。
またまた迂闊な筆者は、「大事にしていたのになくなって、辛いのよ」と家政婦に言ったら、翌週のことである。下駄箱の上にちゃんと置いてあった。呑気すぎる筆者である。
そのまた次のお手伝いさんはとてもいい人で、子供が2歳から16歳まで来てくれたが、閉口したのは折伏されそうになったことである。彼女は学会員であった。
他人が家に入るとは本当に難しい。
大怪我をして退院してからは、単発でお手伝いさんをお頼みしている。
普通の奥様という感じの方が、よく働いでくださるが、プロ的なオバサンには辟易する時がある。
大手町のちゃんとした紹介会社から派遣されてきたオバサンは、悪い意味でプロだった。
下町の浅草に住んでいると自己紹介はぺらぺら。
つい、情にほだされて、チップをあげたり、たまたまあったお菓子や果物をあげたら、これがいけなかった。
1週間の約束だったが、何かをあげないと玄関から出て行かなくなった。
頭に来たので、約束の最後の日は「ご苦労様」と玄関で挨拶をして、「お引き取り下さい」と毅然として宣言した。
どこまで行っても家政婦会から来る人は、米倉涼子さんのドラマのようにはいかない。
さて、来年から、介護保険で来てくださる方の仕事内容について、3人の方たちと話をしていたら、盛んにお風呂の底やお手洗いの床の拭き掃除などをします、とのことだ。
山のような書類を置いて行かれたので、年末年始に読みこなさないといけない。
久しぶりの宿題気分である。
怪我をした時は、毎週毎週、お茶菓子の用意で参ったから、今度はお茶だけにする。
何となく曖昧な制度であると思うが、まあ、来年、始まってみないとよくわからない。
人生、これまで、何でも経験主義で生きてきた筆者は、物書き故、新しいことを経験するのは書く材料が増えるので大歓迎である。
お世話下さる方たちと仲良くやろう。
逆にストレスになったりして・・・クワバラクワバラ!(2025.12.20)。
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