私が旅行に行く先はほとんどが大都会である。中でも一番訪れるのが多い街は京都で、実家の両親や兄弟が祀られている浄苑に行く目的があるので、自然と回数が増える。 だから、住んでいる東京と大差のない人、人、人を見ることになる。 今回、本当に久しぶりに大都会でない街を訪れて、過疎の地方都市の風景を味わったのである。 私が審査員を頼まれた民間放送連盟賞では、よく限界集落のドキュメンタリー作品が選考候補に挙げられていたので、過疎地域の実体を知っているつもりであったが、認識が足りなかった。 出かけたところは限界集落どころか立派な都市で、東北新幹線もやまびこ号は停車する町であったが、本当に人が少なかった。 A駅に隣接したホテルに泊まったのであるが、泊った部屋は窓から駅前広場が見渡せるロケーションにあり、広場の向こうには商業施設がある。つまり、繁華であるはずの場所だ。 泊った翌日、早起きの私は、カーテンを細目に開けて広場などを眺めてみた。 まだ薄暗い5時台からずーっと見ていたのだが、1時間ぐらいの間に、人が通ったのはたったの1人だけで、広場の歩道には人っ子1人通らなかった。 車はチラホラ通っていたが、それも数少ない。 もっともこの日は日曜日であったから、通勤の人がいなくて、なお人通りが少なかったのだろうが、それにしても賑やかなはずの駅前で、この人影のなさ! とてもさびしい風景である。 また、前日の夜、ホテルに付いているレストランが、夜の8時20分でラストオーダーなので、間に合いそうになかった。 かといって、その辺りに別のレストランもないようで困っていると、ホテルのフロントマンが親切に、遅くまでやっている居酒屋スタイルの店に予約を取ってくれて、食いっぱぐれなくてすんだのである。地元の食材(タコやハマグリなど)がとても美味しかった。 ここで突然思い出したのは、25年以上も前だろうか、イタリア、ヴェネチアの有名なネグレスコ・ホテルに泊まった時のことである。超豪華な名門ホテルで、フロントから右に廊下を行くと、そこはもう運河になっていて、ホテルの廊下から直にゴンドラに乗れるのだ。 ホテルで食事をしようと思うと只のシンプルなサンドイッチしかないのに、めちゃ高い。 意を決して下手な英語でスカンピ(手長エビ)が食べられるレストランを知らないかと聞くと、フロントマンが親切に店を教えてくれた。 ディテールは忘れたが、細い路地を訪ね歩いて薄暗い戸建てのレストランが見つかった。 たった2匹しかお皿に乗っていなかったが、このスカンピの美味だったこと! 洋の東西、地元のスタッフが教えてくれる店に外れはないのである。 さて、2日目はいよいよ地元の観光地見物である。名前は”みちのく民俗村”。 「里山に包まれた自然の中に、北上川流域の古民家10棟と歴史的建造物が点在する東北有数の野外博物館です」と、入口で頂いたパンフレットの説明である。 なだらかな坂で作られた広大な土地に、各地から移築された古民家が点在する。 足元には色とりどりの紅葉落ち葉が、グラデーション絨毯のように広がっていて、ものすごく美しいのだが、下手をすると滑りそうだ。 入り口にある、案内のお店で売られている品々に目移りする。 例えば、梁に掛かっているのは色々な手作りのお面。 ひときわ目を引くのはカラフルな鼻緒で作られた大小のワラジ。 ナマハゲの子分の様な怖い顔をした人形。 素朴な木綿生地で作られたクッションの数々。 どれも買いたかったが、まだ入口なので我慢我慢。 坂を歩き始めて、移築の古民家を見て回る。 国指定の重要文化財に選ばれている旧菅野家住宅は、北上市口内町長洞から移築されたもので、享保13年(1728)のお手伝い帳が残っていて、建築年代がはっきりしている旧伊達領北部の上層農家と説明にある。でかくて立派な茅葺の家である。 菅原家という名の古民家は他に2軒もあったが、それぞれ場所が異なる所からの移築なので、菅原さんという豪農がこの地方では沢山いたのだろう。 ホテルで居酒屋を紹介してくれたフロントマンも、そういえば菅原さんであった。 他の古民家は、今野家、北川家、星川家、佐々木家、大泉家、小野寺家などがあり、旧仙台藩寺坂番所もあった。 他には博物館、民族資料館(黒沢尻実科高等女学校旧校舎)、消防資料館なども見た。 旧北川家の曲り家は有名な柳田国男(日本民俗学の創始者)の『遠野物語』にも出てくる助役さんの家である。 ぬれ縁に干し柿や大根が干してあった。瓢箪も3個吊るされていて、風情のあること。 正に日本の東北地方の原点を味わう。 近くに小さなおみくじの箱があり、これが安いのなんの。たったの10円なので3回引いたら、中吉が2回と小吉が1回出た。 東京浅草の浅草寺なんか、高い上に「凶」ばかりが出る。ケチ(笑)。 恋愛運は「願いは届く」と「深い愛情に包まれる」とあった。 言葉はいいけど、肝心の相手がいないよ。 ほとんど生まれて初めて訪れた岩手県のA市。暑からず寒からずの気温に、ピカピカの秋晴れで、久しぶりの命の洗濯だったが、芋の子を洗う様な東京在住の私には、綺麗な近代都市の割に過疎の人の少なさがさびしかった。 地元の方々には慣れた風景なのだろうが、人口減少まっしぐらの日本の、あちこちの地方都市の明日の姿と思えて少し気になったのである。(2022.11.22.) (無断転載禁止)