「ナポレオンは恋女房にメロメロだった? 超スペクタクル歴史絵巻、米英合作映画『ナポレオン』は独特の怪作だ」

 18世紀末、革命に揺れるフランスで、王妃がギロチンにかけられたシーンから始まる。群衆に囲まれた断頭台に曳かれた王妃は、両手を荒縄で後ろ手に縛られ、首だけ突き出させられる。スット-ンと巨大な刃が落ちてきて、王妃の首は瞬時に胴体から分離した。
 刑吏がちょん切れた王妃の首の金髪を掴んで持ち上げ、振り回すと、首から夥しい鮮血がポタポタとあたり中に飛び散った。
 如何にハリボテといえども正視するには恐ろしい場面で、筆者は思わず目を瞑ったのである。この導入場面は、如何にもリドリー・スコット監督らしい。
 彼の『グラディエイター』にも恐ろしい場面があった。
 主演のナポレオン・ボナパルトに扮するのは、ホアキン・フェニックス。あの笑い顔が止まらない不気味な男を演じた『ジョーカー』が記憶に新しい。
 独特の横に長い帽子を被った小男のナポレオンである。
 筆者は西洋史でちょっと習っただけであるが、ナポレオン・ボナパルトは、ただの将校から出世して、最後は皇帝にまでなり、結局、お終いは島流しにされて死ぬ。
 これまでは「ナポレオン=英雄」という図式の人物像が頭にこびりついていたが、この映画では全く違う。戦争に勝ちまくって次第に頭角を現し、出世して英雄になってはいくが、それは外でのこと。
  家庭内ではどちらかというと現代人とそっくりで、マイホームパパっぽい肝っ玉の小さい男に描かれている。
  夫を亡くした子持ちの女、ジョセフィーヌ(ヴァネッサ・カービー)に、素っ裸の股を広げてアソコを見せられ、まんまと彼女の虜になるのだ。
 「覗いてみなさい。病みつきになるわよ」と彼女が誘惑する。
  股の奥を一瞥したナポレオンは彼女の計算通り、参っちゃう。分かり易くて笑った。
  このシーンばかりでなく、ジョセフィーヌが蠱惑的な女性であることは認めるが、まるで現代のAVビデオみたいに、軍服を着たまま、ジョセフィーヌを立たせてバックから挿入するセックス本番シーンが出たのには驚いた。
  外国映画での定番の、美しいキスシーンなどは余りなくて、本番まみれ!
  ナポレオンは世継ぎの男の子が欲しい。
  しかるに、ジョセフィーヌが中々妊娠しないのである。
  セリフを正確には覚えていないが、「今日は(男の子を)妊娠しろよ」と言う様なことを言って、また彼女を突く。
  筆者は笑いをかみ殺した。洋の東西を問わず、権力者の男は自分の精液で息子を作りたいとみえる。蜜蜂みたいだね(笑)。
  現代と違うので、不妊の原因がナポレオンかジョセフィーヌかわからない。
  結局、ジョセフィーヌは離婚させられて離宮に移され、ナポレオンが若い娘と再婚すると、あっと言う間に息子が誕生するのだ。畑に欠陥があったということだが、それも変である。何故ならば、ジョセフィーヌは前の夫の子供をちゃんと産んでいるからである。
  若い妃を迎えても、ナポレオンは未練たらしく、ジョセフィーヌに会いに出かけ、最後は彼女が病死した後に尋ねて落ち込むのである。史実はどうだったのだろうか。
  さて、この映画の最大の見どころは、壮大な合戦シーンであるが、ヨーロッパ中を引っ掻き回して戦争だらけ。どうして男はこう好戦的なのか。
  現代もウクライナとロシア、イスラエルとハマス、男たちは戦争ばかりしている。
  悲惨な死人が毎日のように増えている。人命という、精子と卵子が出会って作られる、奇跡のような人の命が、まるで虫けらのように消耗する現実には胸を締め付けられる。
  合戦シーンの人海戦術には口あんぐりである。騎馬隊、歩兵など取り交ぜて、恐らくエキストラは何千人単位に集めているに違いない。見晴るかす水平線の端から端まで、ワイドスクリーンの端から端まで、兵隊がびっしりと立ち並んでいる場面がしばしば出る。
  この兵士たちが銃剣で武装して闘うのだから、恐らく怪我人も多数出たに違いない、と、余計な心配をしてしまって没入出来なかった。
  また、広大な野原だと思っていたら、それが凍った湖か池の表面で、氷が割れて、人馬もろとも水の中へ。これを水中カメラで、馬や兵士が血まみれの水の中で溺れながら足掻いている場面も撮っている。リドリー・スコットは偏執狂か。
  筆者がいささか不満だったのは、ナポレオンの内面、好戦的な心理が、今ひとつ良く伝わってこなかったことだ。勇猛果敢な職業軍人は、とにかく敵に勝つことだけが目的なのかもしれないが、目まぐるしく次々に戦(いくさ)を仕掛ける心根がよくわからなかった。
  筆者が感心したのは最初の方で、美しい古典派らしい曲が上手なピアノソロで演奏されていたこと。パンフレットを買わなかったので何方(どなた)の演奏かわからない。
  終始一貫音楽が素晴らしかった。
  そういえば、ナポレオン軍が雪と寒さで敗走する場面は、チャイコフスキーが序曲『1812年』で描いている。
  ナポレオンを演じたホアキン・フェニックスは、中々の怪演であるが、単調と言えないこともない。やたらに好戦的なので、あまり知的な男に見えない。
  一方、最後は皇帝の妃にまで上り詰めるジョセフィーヌを演じるヴァネッサ・カービーは、色っぽくて、セックスシンボル的な魅力のある女性に描かれていて、素敵だ。しかし、とても18世紀から19世紀の上流階級の女性には見えない。21世紀の自立した女みたい。
  画面はほとんど白黒に見えるようなくすんだ色調で、ギロチンの場面と、戦闘場面と、戴冠式の場面と、シーンによってカラーの使い方が異なっているのは、計算か。
  久しぶりに大スペクタクル映画を見た。入館から約3時間の長尺映画だったが、飽きなかった。歴史映画の格付けだが、中の人間が妙に現代的だったので、とても、あちら版時代劇には見えなかったのである。(2023.12.21)。
                                       (無断転載禁止)