久しぶりの三田界隈だった。
大昔に、ピアニストの中村紘子さんのお自宅に呼ばれて、三田のマンションにお邪魔して以来である。この辺り、筆者はどうも関係がない。
高輪ゲートウェイなんて変な名前の山手線の駅が出来た時にも来なかった。
慶応義塾大学出身の友人も複数いるのに、この大学とは縁が薄い。
今回、昭和の大歌手・藤山一郎さんの企画展が開かれているというので、トコトコ出かけたのだが、はて、山手線のどの駅で降りればよかったっけ、てな調子である。
タクシーで校門について案内を乞う。
レンガ造りの古めかしい建物の中の小ぶりの部屋で企画展は開かれていた。
タイトルは「福沢諭吉記念慶應義塾史展示館 2024年秋季企画展 『藤山一郎がゆく!
―「若き血」から国民栄誉賞までー』」であった。
藤山一郎さんの本名は増永丈夫、日本橋の裕福な家庭で生まれた坊ちゃんだった。
有名な話をちょっと話すと、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)在学中に、関東大震災と不況の影響で家業が傾き、クラシック音楽の殿堂で勉強している学生なのに、藤山さんは、増永の名前を表に出せないので、芸名の藤山一郎を名乗ってレコードを吹き込んじゃったのだ。
内緒でアルバイトに軟派作曲家の古賀政男と組んで作った『酒は涙か溜息か』が大ヒット。
退学の可能性もあったが教師の取りなしで免れて、次に出した『東京ラプソディ』もまたまた大ヒット! 家の借金も完済したという。羨ましい!
展示してある写真で筆者が最も関心を惹かれたのは、昭和8年の『東京音楽学校卒業生』である。男子11名、女子15名。
何が驚くと言って、この風雲急を告げる時代に、軟弱と取られる音楽学校の卒業生がほぼ男女半々だったことだ。
男子学生は詰襟の学生服で、女子は羽織袴の着物姿である。
男子11名の中で、声楽科の男子は増永さん1人だけ、つまり、男の子は器楽や作曲か?
一方、女子は有名なオペラ歌手となる長門美保さんなどがいる。
有名なピアニストになる豊増昇や永井進も同期であり、優秀な音楽家が育っている。
アサッテの方に行っちゃった増永(藤山)くんは、結局、軟派の世界の大スターになったということである。
生前に国民栄誉賞を受賞した音楽家は藤山さんだけ、美空ひばりさんは亡くなった後の受賞だった。
藤山さんは戦時中、南方に慰問に行かれたし、戦後は巣鴨プリズンで、戦犯として収容されていた人たちを慰問する独唱会も開いた。
1954年からはレコード会社の専属を辞めて、NHKの嘱託になった。
筆者は生(なま)藤山さんに会ったことがある。
銀座のOLをやっていたころ、当時、飯野ビルにあった帝人(当時はまだ帝國人造絹糸株式会社の名前だった)に仕事で出向いたところ、聞きなれた声の御仁が広い部屋に入ってきたのである。
見ると、藤山さんご本人。
ニコニコして腰が低くて、なんとかかんとか言っている。
すると、帝人の人が「先生、なんとかかんとか」と答えた。つまり、藤山さんは帝人の企業内コーラスの先生だったのである。小柄な身長で、喋る声が綺麗だった。
藤山さんのCDも筆者は持っている。
藤山さんの吹き込まれた歌で、筆者のNO1推しは、何と言っても『長崎の鐘』である。
第2位は『青い山脈』。
他に好きなのは『東京ラプソディ』、『懐かしのボレロ』『男の純情』などなど。
『長崎の鐘』はいつ聴いても泣きそうになる。
今、藤山さんのような、気品があって歌唱力抜群で、爽やかな歌手がいるだろうか。
悪いけど、歌唱力では天童よしみちゃんぐらいしか思い出せない。
たまたま、昨日、2024年のNHK紅白歌合戦の出場メンバーが発表された。
筆者は「またか!」と溜息をついた。
はっきり言って知らない歌手ばかりである。
特に男性は、なんじゃ、これ!
横文字ばかリ。
筆者は数年前に懲りた。
「これは、歌合戦ではない。ダンスパフォーマンス合戦である」と言いたかった。
歌がド下手だから、大勢の踊りで誤魔化していると言っても過言ではない。
少数の演歌歌手と少数の歌謡曲歌手を除けば、ダンスを見ているだけ。
シカリシコウシテ、昨年は見なかった。つまらん。
紅組にせめて由紀さおりさんや松田聖子さんらが出るべき。断っておくが、筆者はこの2人のフアンでも何でもない。宇多田ひかるちゃんも資格があろう。少なくとも毎年出ている品がなくてどこがいいのかわからない水森かおりさんよりは百倍もいい。
NHKさんは若者に媚びて、かえって本来の観客を失っている。
NHK紅白歌合戦なんか、テレビ好きのジジババ以外誰が見るの?
横文字だらけで、音程外しっぱなしの下手くそ歌手もどき団体が並んだ今年の紅白は、視聴率も下がるだろう。ジジババにソッポ向かれること請け合いだから。
筆者はどうでもいい。
見ないから。
まあ、キンキラキンでやっておくれ。(2024.11.20.)。
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