今回の奈良の事件で、日本のメディアでも外国の要人の発言でも、日本は治安のいい国なのにと繰り返されたが、私は長く人間をやっているので、簡単に頷くことが出来ない。 日本も結構危ない国になったのである。 特に最近は顕著に実感する。 数年前のことだが、静かで緑の多い住宅街に住んでいるのだが、真昼間、カソリック団体が経営する教会や病院、昔からの養護施設などがある静かな街の間道を歩いていた時のことだ。まだ、コロナの前である。 1人で歩いていた私の少し先の角から現れたラフなシャツ姿の青年が、チラと私の方を一瞥して、また同じ角に姿を消した。私は異様に勘がいい人間なので、ちょっと青年の引っ込み方が気になった。 その勘は当たり、数歩歩いた時に、後ろの方から別のガタイのいい青年が、目深に帽子を被って現れたのだ。30メートル位はあっただろうか。その瞬間、私は嫌な気がした。さっきの引っ込んだシャツ男性と関係があるのではないのか、と。 それで、私はわざと「気が付いているわよ」と相手に知らせるように、家の塀に沿って背をつけて立ち、それこそ、「ジィーッ」と帽子の青年が近づいてくるのを待ったのだ。 なにしろ私は女の中でも小柄な方で、体重も軽い。屈強な男性に襲われたらひとたまりもない。人気のない真昼間だ。襲われるわけにはいかない。 相手に失礼なくらい、私は帽子男性を見つめて視線を逸らすことなく、彼が私の前を通り過ぎるのを待ったのである。 帽子男性は私の前をさりげなく通り過ぎて、最初のラフなシャツ男が消えた角を同じように曲がっていったのである。あれは間違いなく前の男が「カモが来た」と連絡したのだ。 この時ぐらい私はバッグ以外に武器になるようなものを持っていないことを後悔した。 カラーボールぐらいは持っておくべきだと思った。 これからしばらくして、その辺りの裏路地一帯に警察の看板が立てられた。 要するに、かっぱらいが出るから、気をつけろ、という趣旨の注意書きであった。 以前に書いたが、私はパリでは100万円ぐらいのものが入っていたバッグを、ヴァンドーム広場から近い場所でかっぱらわれて石畳で頭も打った。 イタリアではエスカレーターに乗っている時に、後ろに乗った女の子にショルダーのジッパーを開けられて危うく財布を取られるところだった。 南仏では、トイレでジプシーの母娘数人に取り囲まれて、身ぐるみ剥がれる所だった。 トイレというのは男女が別なので、一番危ない場所である。 幸い、まだ金で済んでいて、命の危険がある襲われ方をした経験はない。 私の小さな経験はともかく、国家的な大テロ事件についても、私の見方では、日本は決して「安全な国」とは言えないと思っている。何故ならば、フランスのように個々人の考えが屹立していて、付和雷同しない国民性と違い、日本人は「寄らば大樹」の大政翼賛会志向なので、思い込んだら百年目でテロリストになる人がいる、怖さがあるからである。 教科書で習った戦前の5.15事件や2.26事件まで遡らなくても、安保闘争のあたり、1960~1970年代に起きたテロ事件は恐ろしく記憶に残っている。 今回の奈良の事件が起きた日に、ニュースショーをハシゴしたのだが、一番違和感があったのは、番組を作っている現役のテレビマンたちが、60年安保時代といっても、すでに歴史上のことでピンとこないらしく、事件の配列が滑稽なくらい序列がヘンだった。 私の印象では、最も陰惨で恐ろしかったのは、一連の日本赤軍による連合赤軍事件の数々。 テレビ的に派手な映像だったのは、丸の内一帯が粉塵まみれになった連続企業爆破事件。 今度と同じく、要人が襲われたのは岸さん、金丸さんなどの他に、一番ショックな映像だったのは、1960年10月12日に、日比谷公会堂(当時)のステージ上で、日本社会党党首だった浅沼稲次郎さんが、右翼の17歳の少年(山口二矢)に刺殺された事件である。 今回、ニュースショーを見ていると誰も語れない。頭が真っ白な高齢らしいオジサンコメンテーターたちもポカンとしている。 私が見た中では、4チャンネル大阪に出ていたコメンテーターが言及していただけ。 何が私にとって浅沼さんの事件が印象深いのかと言うと、使われた凶器が日本的な刃物であったということ。飛び道具ではなかった。 浅沼さんがお腹を刺されて、眼鏡が顔から落ちる瞬間の一秒の何分の一かの時間を、ぴったり撮ったものすごいシャッターの切り方に、プロの腕を見るのである。 これを撮ったのは毎日新聞の長尾さんというカメラマンで、日本人として初めて、世界的な大大ご褒美であるピュリッツァー賞の写真部門の賞を与えられたのだ。 この時に、わが亡夫も毎日新聞の記者であった。 今ならばさしずめ「未成年者だ」といって、山口二矢の顔写真は伏せられただろうし、名前も報道されなかったはずだ。殺人者に成人も未成年もないと思うが。 今回の事件、素人目にも、警備がスカタンである。 演説者の後ろ側はスカスカで警官もいないし、狙撃者が自由に行ったり来たりしている。 誰も誰何する人がいない。 私は50年近く前に、イギリスのエリザベス女王様がいらした時に、幼い子供を連れて赤坂の迎賓館近くで女王様の車列を見たことがあったが、その時も、余り煩く誰何されなかったと記憶する。性善説、平和ボケの日本らしい。 映画化もされたフレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』を読めだ。 テロ慣れ(?)している大陸続きのヨーロッパでは、演説者の後ろ側がスカスカなんてありえないのだ。 バカな青年たちがこの事件で、妙な英雄もどきになった狙撃犯人の真似をしないでほしいものだ。日本も決して安全な国ではなくなって、模倣犯が出てこないことを切に祈りたい。(2022.7.11) (無断転載禁止)