58歳の石丸幹二さんと、44歳の井上芳雄さん、いずれも東京藝術大学出身の美声の持ち主たちが主演する『ラグタイム』を、日生劇場に聴きに行った。 それぞれ別々に2人のステージを筆者は見ているが、2人そろった舞台は初めてである。 『ラグタイム』とは音楽の1ジャンルだ。 19世紀末から第1次世界大戦(つまり、20世紀初頭)ごろにかけて、アメリカを中心として流行した黒人音楽に強い影響を受けた音楽ジャンルである。 それがタイトルになっている。 3つのグループが登場する。 まずは貧しい移民の1団。ラトビアからのユダヤ系移民として、街で影絵の切り抜きを売るターテ(石丸幹二)が娘を連れて移民船でニューヨークを目指している。 才能があるターテは、街の切り絵売りから出世して、後に映像の仕事を始め、映画監督まで上り詰める。つまり。 混乱の世紀末から初頭にかけて、アメリカンドリームを掴んだ移民である。 次に登場するのは裕福な白人一家で、主の女性マザー(安蘭けい)は ”金持ち喧嘩せず” の通り大らかで、庭に捨てられていた黒人の赤ん坊を、家で育てると抱き上げる。 彼女の亭主のファーザーは、長く旅に出ている。 もう1組は、才能あふれるアフリカ系アメリカ人の若きピアニスト。 彼、コールハウス・ウォーカー・Jr(井上芳雄)は同じく黒人のサラ(遙海)に子供を産ませて捨てたが、マザーに助けられて彼女の家の洗濯婦になるサラと、よりを戻したい。 マザーの家の2階で、寂しく歌うサラ(遙海)の熱唱は素晴らしい。全出演者の中で最も情感あふれる歌唱であった。 遙海さんを筆者は知らなかったが、日本人とフィリピン人のハーフとして生まれ、歌唱力の素晴らしさでテレビ番組の劇伴なども歌っている女性であるらしい。 コールハウスは『ラグタイム』を奏でて大人気となり、T型フォードまで持つ身分になっている。 しかし、この時代は人種差別や偏見まみれの時代で、コールハウスの折角のT型フォードは、白人たちによって壊され、川に投げ捨てられるのだ。 井上芳雄さんが、長身(182cm)と広い背中を生かして、劇中、マザーの家のアプライトピアノで『ラグタイム』を弾きまくる。 マザーに扮する安蘭けいさんは、宝塚トップスターだっただけあって、立ち姿が美しく、ステージの真ん中で朗々と歌う。お金持ちの貴婦人という役柄にピッタリではあったが、いわゆるミュージカル女優という雰囲気ではない。宝塚男役の先入観が邪魔をする。 石丸幹二さんは近頃、テレビドラマの銀行マンとか、CMの宣伝マンとか、悪いけれど、藝大出の歌手というイメージが薄れてきている。残念だ。 彼がまだ劇団四季にいらした時に、主演した『異国の丘』の九重秀隆役が素敵だった。近衛文隆がモデルで、太平洋戦争のさ中の和平工作事件が物語に使われた。 『異国の丘』は筆者が大好きだった歌で、家系には戦争で犠牲になった家族も全くいなかったのだが、この歌を聞くと自然と涙が込み上げてくる情感あふれる作品である。 ところが、期待して観劇に出かけたのだが、劇中で『異国の丘』はただの1度しか歌われなかった。恐らく、著作権の関係だったと思う。 今は亡き浅利慶太さんが、戦中派らしく、太平洋戦争に材を求めて、『昭和3部作』というのをミュージカルで作られた。 『ミュージカル 李香蘭』と『ミュージカル 異国の丘』と『ミュージカル 南十字星』の3部作である。 その頃、筆者は産経新聞社が出している経済紙にコラムを持っていて、浅利さんの功績を「立派だ」と褒めたのである。 しばらく経ってから、劇団四季から連絡が来て、「公演すべてが見られる」パスみたいなものを下さるという。でも、お断りした。 全公演を見に行くほど暇ではないし、気に入らない作品でも褒めなきゃいけないのは困る。筆者は自分でも生き方が下手くそだと思うが、だから、映画でも舞台でも、筆者はみんな自腹である。勿論、今回の『ラグタイム』もチケットを買った。 ネットで誘われたので15,500円のS席だったのに、劇場に入ってびっくり。後ろから2番目の酷い席だったのである。 最近になって、またもや勧められたのは、15,500円の席が、只の7,500円に値下がりしていた。半分以下だ! コンチクショー‼(笑) さて、『ラグタイム』の音楽はスティーヴン・フラハティさん、演出は藤田俊太郎さん。振付けはエイマン・フォーリーさん、翻訳は小田島恒志さん、訳詞は竜真知子さんである。 2,000円のプログラムの終りの方で、3人、石丸、井上、安蘭さんたちがメイキングとも言うべき楽屋話をしている。 その中で、20世紀初頭の話で、白人優位、黒人差別、移民は生きるのに必死。3者3様に異なる。このテーマは決して100年前のことではなく、人種差別がないように見える現在の日本でも、ヘイトスピーチはあるし、差別は色々なところで顕在化している、と語っていて、なるほどと思った。 2幕目は激しいコールハウスの抵抗が描かれ、最後に才能あるこの黒人ピアニストは撃たれて死ぬのだが、それが何を意味するかは、これから見る人のために語るまい。 井上芳雄さん、大奮闘である。 群集のダンスも歌唱も、それなりに良かったと思うが、強いて言うなら、全体に音楽が垢抜けない。曲が、ではなく、歌唱が、である。 久しぶりに見た社会派ミュージカルはとても楽しめた。コロナ下で鬱屈していたのだろう、若い客たちがカーテンコールではしゃいでいておかしかった。(2023.9.20.)。 (無断転載禁止)