「コロナ禍の中の歳末風景 感染症の年に思い出すわが家のお節造り」

 予約していた美容院で、今年最後のカットをしてもらった。スタイリストのA君は有能なヘアメイクアーティストで、30代前半で大手の有名美容院から独立して、オーナーになった。経営は順調そうだが、今年の前半は常連客でも回数が減り、減収だったという。
 巨大な雑誌類、例えば、家庭画報とか男性用の分厚いファッション誌とかが、春頃から置いてなくなり、その代わり、iPadを使うdマガジンが登場した。私が手に取るのを躊躇していると、画面をせっせと消毒してくれるのである。
 月600円で色々な雑誌が画面上で読めるとの売りだが、私に言わせれば食い足りないこと夥しい。肝心の読みたいページはちゃっかりカットしてあって、完全に1冊丸ごと読めるのではないのである。指でページを送るのも味気ない。紙の方が断然いい。
 それでも立ち読み専門のケチな人には人気らしい。友人のインテリ夫人も「あれは便利だわよ」と言って、推奨する。私は商売柄、主要な雑誌は発行元がご恵贈くださるので、買わなくてすんでいるからdマガジンはいらない。
 コロナ禍のために、美容院に置いていた雑誌類まで売れなくなっているのだから、ホント、この節季はありとあらゆる場面で人間社会に負の影響が出ている。
 A君のレギュラーお客様で、お医者様がいる。その方・BさんがA君にコロナ感染に気を付けろといつも注意するそうだ。根拠は、B先生の患者さんの6人の中の2人がコロナ陽性患者だったことがあったそうで、見かけが何ともなくても、陽性の患者ということは体験的に身に染みているらしい。怖い怖い。
 小池百合子さんが「自宅で大人しく」と号令をかけているが、言わせてもらえば、食材は出かけなければ買えない。私は年寄り臭いお取り寄せとか、スーパーに配達依頼なんかやりたくない。自分で商品を見て、手に取って、吟味して買う。料理を自分でちゃんと作る人間は、食材も自分でちゃんと選ばないと気が済まないのだ。
 だから、ほぼ1日置きに仕事の合間にデパートやスーパーに出かける。買っても買っても足りないものを思い出して補充にいかなければならない。ターミナルのコンコースを歩いていると、この中に陽性患者がどれほどいるかと気になりだすが、それでも出かける。
 さて。コロナ禍といえども、この歳末も食材を買いに走っている。
 亡母がいつも口を酸っぱくして私たちに教えていたことは、「お正月の5日ぐらいまでは買い物に行ってはいけない」ということだった。つまり、年内に5日ぐらいまでちゃんと食べるための食材や日用品を買い整えておけ、という教えである。
 近頃は、デパートの初荷でなくても、2日から、もうコンビニなどが開いている。
 そもそも近頃の若い人たちはお正月を特別な期間と考えていない。
 元日だけ我慢すれば、2日からはもう普段通りだと思っているらしい。
 亡母はしきたりに煩い人だったので、今生きていれば多分嘆くだろう。彼女は子供の頃、赤坂の豊川稲荷の近くに住んでいて、入学したのは青山小学校である。私立の青山学院ではない。公立の青山小学校である。つまり、赤坂育ちなのだ。
 だから、季節の風習などに煩くて、お正月の仕来りなどにも独特のこだわりがあった。まるで、向田邦子さんのエッセイに出てくるやりとりみたいなことをよく言っていた。
 年末には野菜類を山ほど買いこむ。5日までは全く食材を買いに行かない。
  出来合いのお餅は絶対に買わない。専門の店でついてもらう。玄関のしめ縄や、部屋ごとの輪飾りは台所やお手洗い、洗面所に至るまで、すべての部屋に飾る。近頃はスーパーで5個セットなどを売っているから助かるが、10年ぐらい前までは、神社の近くに節季だけ小屋掛けの店が出るまで待たねばならなかった。
 歳末のお節造りにも厳格な順序があって、暮れの28日には丹波の黒豆を水につける。29日には豆を煮始める。と同時に日持ちのする生の田作りを炒め始める。大型のフライパンに和紙を敷いて、豆火で気長に炒る。
  一方、塩カズノコは水につけて塩抜きし、何度も何度も水を取り替えて塩が抜けてから、手で1口大に裂いて味を付ける。みりんと濃い口醤油と酒、最後におかか。
 30日31日にはいよいよお煮しめづくり。1番大変なのは野菜類の下ごしらえである。里芋かヤツガシラ、京人参、牛蒡、蓮根、こんにゃく、などをそれぞれ形よく切って下茹でしておく。茹で筍やゆり根はそのまま食べられる形に整える。
  大鍋に前日から水につけておいた特上の゛にぼし゛からダシを取って、素材別に下茹でしたものを煮る。味付けは微妙に変える。京人参は多少甘めにする。塩や醤油は極力抑えないと味が下品になる。亡母がよく言っていたのは、料理番組の講師が、黒豆などに平気で塩を加えるのは最悪、塩を加えると味が下品になる。戦後のお砂糖がない時ではあるまいし、甘みを強くするために塩を加えるのは絶対にダメとよく言っていた。
  明けてからのお雑煮については、また1過言あるのだが、ここでは省略する。
  亡母が生きていた時に躾けられた江戸前の歳末お節造りが、今年は全くナシ。
  そもそもお正月は密を避けるためや、その他の事情で、家族だけでひっそりと過ごすので、あんまり食べ物も造らない。
  母親に叱られるが、プロが作ったお節で今年はお雑煮以外の手造りをパスした。
  初詣にも行かないし、節季にも三が日にも書かねばならない原稿があるので、ほぼ蟄居しての巣ごもり正月だ。
  従って、暮れのお節造りも大さぼり。
  かといって、大晦日が来たのにまだ大掃除が終わらない。
  昔の日本人らしく、日程と仕来りを守った暮れのさまざまを、ちゃんとやらないと気分が悪くなる私の性格に反して、コロナ禍にかこつけて破壊した情けない年末である。
  平気で出歩いているのに、今のところコロナには感染していないので、家族全員が年末年始に体調が悪くならないように祈っている。
  読者の皆様、いいお年をお迎えください。また、来年! (2020.12.31)
                                           (無断転載禁止)