「美しい水の都・ベネチアのカーニバルが、新型コロナウイルスにやられるまで」

  5月9日(土曜日)の夜、NHK総合テレビで放送された『封鎖都市・ベネチア そして街から人が消えた』は美しくも恐ろしいドキュメントであった。
  2月8日(たまたま私の誕生日であるが)、水の都・ベネチアの、溜息が出そうに美しいカーニバルが始まった。10世紀から16世紀にかけて、貿易で巨万の富を得たベネチアは、1979年にカーニバルを復活させ、以後、毎年、世界中から300万人もの観光客を集める一大イベントの絢爛豪華なお祭りを続けてきた。
 今年は昨年11月に2メートルもの高潮に襲われた後遺症で開催が危ぶまれていたが、それも克服して、この日に水上で炎のショーが始まり、見物客10,000人の前を、船の行列が華麗に進んだ。
 一方、この2月8日に東方からひたひたと押し寄せてきつつあった新型コロナウイルスのために、イタリアでは感染者が3人出ていたが、死者はまだ1人もいなかった。
  ベネチア市の伝統保存部代表のジョバンニ・ジュストさんは、「(高潮で)ベネチアは死んだと思われていたが、カーニバルで蘇った」と胸を張った。カーニバル2日目の水上パレードでジュストさんが挨拶をしていた2月9日、ニュースでは「空港でコロナ対策の強化」が報道されていたのに、ジュストさんは「コロナについて何も知らなかった」のである。
  2月15日、お祭りではマリア祭が行われ、マリア・グラツィア・ボルトアートさんが実行委員長として70人の中から12人の若いマリアを選んだ。これは美人コンテストではなく、カーニバルの間中、練り歩いたりイベントに参加したりするカーニバルの華娘なのだ。
 職人フランコ・チェカモーレさんの工房では、娘のフランチェスカさんと2人でカーニバルの仮面作りに忙しかった。1979年にカーニバルが復活した時には誰も仮面の作り方を知らなかったので、チェカモーレさんたちは苦労して試行錯誤したという。
  人間の顔のままの仮面の他に、鳥のくちばしが突き出た異様な顔の仮面は、14世紀に中央アジアから西に広がってベネチア経由で西ヨーロッパ全土を席巻し、3,000万人もの命を奪ったペストが流行した時、医者たちがつけていた仮面である。目にはガラスが嵌められ、嘴の中には薬草が詰め込まれていた。
  14世紀のペスト大流行の折り、ラッザレット・ベッキオ島は患者の隔離病棟になり、身分に関係なく患者はすべからくこの島に隔離されて外に出られなかった。17世紀まで何回もペストが流行る度に、ワクチンも治療法もない人々は、神に祈るしかなかったので、教会が建てられた。
  ベッキオ島には集団墓地がある。そこでは1,500体もの人骨が発掘され、引き取り手のなかった遺体が埋められていたことを証明している。
  さて、2月21日、感染者は20人に増え、1人の死者が出て、ニュースは「ベネト州(ベネチアのある州)に感染者が出た」と報道した。この頃、ベネチアの街の雰囲気がガラリと変わり、マスクをする人が増えた。22日に感染者は77人、死者は2人と急激に増える。
  2月22日、世界中のセレブが集まる舞踏会が開かれた。入場料は1人60,000円。そう言えば私が10年前にこのカーニバルを見に行った時、ホテル・ネグレスコの衣装会場で、全身の仮装をオーダーすると60,000円だった。頭のてっぺんから靴まで貸してくれて、全身が仮面舞踏会みたいになる。恥ずかしいので止めて、目から上だけのマスクと、闘牛士のようなフエルトの帽子を買ってきた。写真参照。
 2月22日、感染者は77人、死者は2人。わずか1日で4倍になった。
 2月23日、感染者は146人、死者は3人。「保健当局の指示に従え」とニュース。突然、「カーニバルは明日から中止にする」とお達しが出た。後たった2日だったのに。
 2月24日、感染者は229人、死者は7人。後片付けが始まる。消毒。学校は休校。
 ジュストさん「何とも言えない不安が襲い掛かってきたが、ベネチアは強い、必ず甦る」
 マリアさん「どんな壁もベネチアの美しさを妨げる事は出来ないと思っていた」
 チェカモーレさん「悲しい、悔しい。11月の高潮の後も街を復興させてきたのに」
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 3月7日、感染者は6,102人、死者は253人。 
 3月8日、感染者は7,375人、死者は366人。
 この日、コンテ首相が北部の都市の封鎖を発表しロックダウンを宣告。
 街から人が消えた。
 3月15日、封鎖から1週間、窓に虹の絵がかけられ、必ず良い方向に向かうとの意思。
 4月6日、感染者は132,043人、死者は16,466人。
 4月12日、感染者は156,675人、死者は19,955人。
 4月15日、感染者は166,424人、死者は21,740人。
 4月30日、感染者は205,463人、死者は27,967人。
 チェカモーレさんも工房を閉めた。
 工房の娘・フランチェスカさんは「私の中で何かが壊れた。私たちの日常は止まった」
 ジュストさんは「もし、水上パレードを行ったあの日に戻れるなら、人々に人混みから逃げるように言ったでしょう。あの時は知らなかった。新型コロナは捻じ伏せられる相手ではない。人知れず近づいてきて、こちらに武器はない」
 マリア・ボルトアートさんは「友達が感染したけど励ましてもあげられない。長い孤独の中にいる。<空っぽのベネチア>、<頭や骨にしみるような静寂>、<恐ろしい静寂です>」
 寒かったけど、路地の土産物屋で美しい人形や仮面を買い、喫茶店を覗くと中世の仮装をした美男美女がさんざめき、夜のゴンドラに乗って船頭のオペラ歌手並みの美声アリアを聴き、夢のようなひと時を味わった私の思い出は、見事に砕け散った。
 夏に行った時には、ムラーノ島でベネチアンガラスのワイングラスや豪華なガラス絵を買い、冬にはカーニバルのさんざめき。美しい夢の旅先が、人気もない街に変じた無念さ。
 ルキノ・ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』における、マーラーの5番、第4楽章アダージェットが聴こえてくる。あれも消毒場面が異様な映画だった。(2020,5,10)
                                  
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