コロナ禍の中、都知事さんが県境を跨ぐなとおっしゃった指令は生きていると思うが、県境を跨いで京都に行ってきた。同行者の都合でこの時期しかなかったのだが、悪い子だ。 昼前の新幹線は空いていた。1車両に10人位しか乗っていなくて、みんなシーン。 それでも、中止かと思っていた物売りのワゴンまでやってきたので感激した。 JR東海は商売熱心である。 午後の2時台にホテルグランヴィア京都に着いて、3時のチェックインまでロビーで待とうと思っていたら、「お部屋の用意が出来ていますので、どうぞ」とわざわざ11階の部屋まで案内してくれた。コロナで客が少ないからか、ものすごく親切である。 昔は別のホテルに泊まっていたが、京都駅が立て替えられて、このホテルが内蔵されて以来、超便利なので何時もここに泊る。フロントと同じ階にあるレストランの「ル・タン」もお気に入りである。 以前、仕事で来た時に、深夜に帰ってきて、おつまみのつもりでドイツのソーセージを注文したら、それについてきたマッシュポテトが絶品で忘れられなかった。 だが、今回は簡潔になった特定のメニューしかなかった。残念。 翌朝、車を借りて五条坂に向かう。 東本願寺が建てた美しい東山浄苑に行くためである。 京都の東、五条坂を登ってゆくと立派な門があり、そこから先は東山浄苑の広大な敷地である。今から40年以上前に建てられたこの東山浄苑は、首都圏では大流行りの巨大な屋根の下に、それぞれの仏壇式お墓が並んでいるお墓マンションのはしりだ。 しかし、首都圏のチマチマしたバーチャル納骨堂とは大違いで、広々とした公園のような敷地に立派な屋根がそびえていて、その中の1つにわが実家の父母や昔々に夭折した兄たちや、長兄などが眠っている。 47年前に母が亡くなった時に、実家の父と長兄が相談して買ったもの。父は次男だったので、自分のルーツに入らなかったのである。 しばらく誰も参らなかったと見えて、仏壇にホコリが乗っている。羽箒を借りて掃除、お花とお供えを買い、お香をたく。名刺に日にちを書き、「1月某日に夫がみまかりました」と挨拶する。今後のわが家族を守ってほしいと祈った。 事務系統の部署にいる人たちも、みんな袈裟を着ていらして、口々に「よう、お参りでした」と頭を下げてくれる。こんなところに眠っている父母たちは幸せだろうと嬉しくなった。 だが、私は死んでもここには入れない。婚家の墓に入るわけだ。 この世の人でなくなってまで、妻という身分は夫と同衾しなくちゃならないのか。 よく考えれば変な制度である(苦笑)。 コロナコロナで京都も全体に人が少ない。新幹線側から烏丸口まで駅の中を移動した時にも、スイスイスイーッと人にぶつからずに動けた。 東山浄苑の中も、お参りの人よりも袈裟衣の職員の方が多い。 庭には、既に御盆会の準備の四角いランタンが並んでぶら下げられていて、実に美しい眺めである。時間も気になるので、写真も撮らずに出発した。 東山浄苑から町へ下りずに東山の尾根を行く。途中で将軍塚に寄る。ここからは京都市全般が一望できる。京都府京都市東山区東山(桃山丘陵)の稜線上、華頂山の山頂にある直径20m高さ約2mの塚と説明されている。 京都の風景で私がいつも、ある種の懐かしさを感じるのは盆地を取り囲むなだらかな山々である。 根が生えたように長い間住んでいる東京では、空に山が見えない。百人一首にも読まれている「人が寝そべっている」風な低い山々が取り囲む京都は、日本人の祖先を思わせる。 稜線を辿り、蹴上で街に下りる。昔は降りたところの都ホテルによく泊ったものだが、今はなくなっている。古都の京都も久しぶりに来ると激変しているのだ。 一目散に寺町三条へ行く。お茶の一保堂本店が目的である。毎度毎度東京のデパートで一保堂の日本茶は買っているが、京都へ来ると何が何でも本店でお茶を纏め買いする。 横浜に住んでいる従妹が表千家の師匠だったので、私は本店でよくお薄も買ったものだが、彼女は今、病気で入院中、コロナで面会も出来ないのである。 柔らかな店員さんの京都弁に送られて、買い込んだ沢山のお煎茶、ほうじ茶を抱えて寺町散歩。何度来ても新しい発見がある街である。観光客はほとんどいない。 お昼時になったので、お茶とピザトーストをいただく。修学旅行生たちのメッカだった繁華街もひっそりしていて、早々に逃げ出す。 それから目ぼしい場所のハシゴである。 本能寺、壬生の新選組屯所あたり、何時も行く三十三間堂や、中心部の二条城、御所、八坂神社や祇園さんなどはみんなパス。 最後は東寺に寄った。 ここで、13刷まで発行された三浦俊良著作の『東寺の謎、巨大伽藍に秘められた空海の意図』という本を買う。東寺に空海は10年も住んだそうだが、心情クリスチャンの私だから、仏教に詳しくないのだが、夫が急逝した時に、尺八の名手である三橋貴風さんから、キリスト教と仏教は繋がっていると教えていただいた。 ここでは書けないけれど、三橋さんは私を慰めるためだろう、空海についてもめちゃくちゃ詳しく解説してくださったのである。ついでに、 「貴女はあの世でまた、ご主人と一緒になりますよ」だって。 未亡人になった元妻に、逝ってしまった夫と、また再会できるという言葉は大いなる慰めの言葉には違いないが、私はノーサンキューである。 自分では何もしなかった家事オンチの亡夫の世話など、あの世に行ってまでやるのはゴメンである。それより私は羽根を伸ばして、新しい友人探しに出かけたい。悪妻よね、私。 (2021.6.30) (無断転載禁止)