4年ぶりに今年の5月31日、ホテルで開催される贈賞式で、第60回ギャラクシー賞のテレビ部門に入賞したドキュメンタリー、『正義の行方~飯塚事件 30年後の迷宮』は、NHKが作った渾身の優秀作品である。 既に、昨年度の文化庁芸術祭大賞を獲っている作品であるが、何度見ても「唸らせられる」作り方で、見ていない方のために取り上げたいと思う。 1992年2月20日に、福岡県飯塚市で登校途中の2人の女児小学生が行方不明になり、翌21日に同県の八丁峠で他殺体となって発見された。 遺体には首を絞められた跡があり、顔には傷、衣服は下半身が下着まで脱がされていた。 事件から2年後の1994年に、久間三千年という50代の男が殺人などの被疑者として逮捕されたのであるが、まだ今のようにDNA鑑定が確立されていない時代だったので、曖昧な鑑定結果で人間1人の命が、国によって奪われたという非情な内容の事件である。 逮捕後、略取誘拐・殺人・死体遺棄の罪で久間は起訴され、2006年に最高裁判所で死刑判決が確定した。 なお、2年後の2008年10月28日に福岡拘置所で死刑は執行された。 久間被告とその妻は終始一貫、冤罪を主張していたが、再審請求も認められなかった。 つまり、最後の瞬間まで、教誨師に無罪を主張しながら彼は死刑を執行されたのである。 『正義の行方~飯塚事件 30年後の迷宮』(NHK BS1)は3部作で、それぞれ50分ずつのドキュメンタリーとして放送され、「第1部 逮捕」「第2部 死刑」「第3部 検証」の3作から成っている。 作り方として、筆者が感心したのは、証言者たちに対して作り手が先入観を持たないようにするために、作り方の方向性を下手すると示唆してしまうナレーションを使わない。 つまり、客観説明なしで事件も推移も知らない視聴者に内容を正確に届けるために、当時のニュース映像などを使って事件の経過を知らせる場面を挟んだ。 中心の証言者は、この事件で大手の大新聞よりも先んじていたブロック紙の西日本新聞の記者。大スクープを書いた記者とそのキャップ。宮崎さんと傍示(かたみ)さん。 2人は第3部ではそれぞれ出世して、役付きになり傍示さんは編集局長である。 一方の捜査陣は勿論警察官と検察。主に証言しているのは当時の捜査一課長や取り調べた警官たち。 彼らは「久間は絶対に真犯人である」と断じて動じない。 反対に、久間被告は冤罪だとして結成された弁護団の弁護士たちが、後半の部分にはしばしば登場する。 弁護団の共同代表の徳田弁護士、岩田弁護士らは、再審請求が撥ね返されても撥ね返されても、久間被告の冤罪を信じて未だに活動しているのだ。 筆者が感心したのは、まだ技術的に曖昧だったころから、法医学者として第1人者だった押田茂實・日本大学名誉教授が、DNA鑑定のオーソリティとして登場してくるくだり。 彼は元東北大学の教授だった。 有罪の証拠とされた項目は、DNA型の一致。 これには相当の時間を使って説明しており、捜査当局が証拠としたフイルムには、消された部分があって、弁護団はネガフィルムを出せと要求する。 ネガには捜査当局が採用していない要素が明確に映っていた。筆者にはチンプンカンプンでよくわからないが(笑)。 冤罪を主張する側は、証拠品の第1が「捏造である」と断定する。 また、道の途中で目撃された久間の紺色のダブルタイヤのワゴン車についても、そんな1瞬間の目撃にしては詳しすぎると、捜査当局の入れ知恵説を唱えている。 細かい所ははしょるが、第3部の「検証」が最も面白い。 当時のキャップだった傍示さんは編集局長として調査報道をやろうと決める。時に2017年である。事件当時に飯塚事件と無縁だった記者を選び出して、先入観のない目で検証しろと中島記者に命じる。サブには本社から中原さんという記者を呼び戻した。 2人は当時の目撃者を探したら、やっと1年後に高齢者施設で働いていたり、切れ者の國松長官に面会するに苦労があったり。 國松孝次警察庁長官とは、筆者はあるパーティーで顔を合わせたことがある。 國松さんは1995年、オウム事件真っ盛りの頃、何者かに狙撃されて重傷を負ったので、私たち市民もあまねく彼のお顔を知っていた。 あるパーティーで、筆者はグラスを持ったまま、突然小柄な男性と、面と向かってぶつかりそうになり、ハッとして顔を見ると彼だった。もうその頃は、狙撃事件も忘れられかけていて、誰何されていなかったが、筆者は「へーえ、テレビ人のパーティーにもいらっしゃるのか」と驚いた記憶がある。長官は既にお辞めになった後だったろう。 中島さんと中原さんは、國松長官との面会に漕ぎつけるまでに、辛い返事をもらったが、結局、國松さんは会ってくれたという。 なんか、喋り方が「べらんめえ」だったらしく、わざわざ2人は東京まで出張したけれど、どんな成果があったのか、はこの映像ではわからなかった。おそらく、事件記者にとって、警察庁長官という大トップは、雲の上の存在で、話がかみ合わなかったのかもしれない。 こういうディテールは面白い。 さて、それで、はねられ続ける再審請求が今後どうなるのか。答えは出てない。 岩田務さんという、猫背で小柄な弁護人が、最高裁判所の棄却の判定の後で、辛そうに呟く表情は、何万言の説明よりもその落胆ぶりを如実に映し出す。 30年も経って、まだ追い続けるブンヤの執念も凄い。 1つだけ筆者にとって不可解なのは、シャが掛かっていて表情はわからないけれども、冤罪(と信じる)久間の妻が、意気軒高に喋っている姿の不思議さである。なぜこんなに堂々と明るいのか。再審請求の成就が目的で明るいのか、どうしてもわからなかった。 (2023.5.11.)。 (無断転載禁止)