「G7のメンバーたちは、1人を除いて、広島でも長崎でも原爆投下された時には、この世に生まれていなかった」

 原爆ドームの前や、安芸の宮島、厳島神社大鳥居の前での、G7メンバーたちの記念撮影を見ていて、HIROSHIMA SUMMITという名とは裏腹の、奇妙な明るさを感じたのは筆者だけだろうか。
  厳島神社の大鳥居の前では、原爆慰霊碑の前での緊張感と違って、みんながにこやかで、フランスのマクロンさん以外の人たちは手を振っていた。これからお夕食(ワーキングディナー)という楽しみがあったからかもしれない。
 岸田さんの出身地にしても、よくまあ、原子爆弾投下者のアメリカの大統領までが、広島での開催に賛成したものだと思う。
 報道されたことを鵜呑みにすれば、アメリカ本土では反対意見も相当あったとか。当然である。長く人間をやってきた者から見れば、「アメリカが原爆を投下したからこそ、太平洋戦争が終わった」というのが、定番の考え方であったことを良く知っているし、エノラゲイが英雄扱いだったのも常識だった。
 今回のG7揃い踏みを見ていて、奇妙な明るさの根拠の1つに気が付いたのは、1945年8月6日の原爆投下時にこの世に生まれていたのは、バイデンさんただ1人であるからかと思う。
 記念撮影の順に述べると、左端がミシェルEU欧州理事会常任議長(47)、メローニ・イタリア首相(46)、トルドー・カナダ首相(51)、マクロン・フランス大統領(45)、岸田文雄首相(65)、バイデン・アメリカ大統領(80)、スナク・イギリス首相(43)、ショルツ・ドイツ首相(64)、フォンデアライエンEU欧州委員長(64)で、平均年齢は56歳(5月17日現在で)・・・・・(タカハシマコト氏原稿より引用)。
 つまり、80歳のアメリカ・バイデン大統領以外は、1945年8月6日の広島への原子爆弾投下時には、この世に影も形もなかった人たちである。
 彼らにとっては歴史上の出来事だから、明るくいられるのかもしれない。
 バイデンさんにしても、お生まれが1942年であるから、昭和20年には、まだ、たったの3歳である。
 バイデンさんは1番のご高齢であるにもかかわらず、カッコイイ。スラリと背が高く、歩き方が美しい。学生時代にスポーツをやっていらしたこともあるが、彼はご自分の見栄えに自信があるのだろう。
 岸田さんもなかなかのハンサムだが、身体をのっしのっしと揺すって歩く歩き方は頂けない。バイデンさんを見習ったらいかが?
 真面目な話に戻ると、歳がバレルが、1945年、筆者は当然生まれていた。
 関西より遥かに西の、親戚の家に疎開していた。
 今、思い出しても毛が逆立つような、辛くて嫌な日々であった。
 疎開先でも転々と引っ越しばかりして、いずれも居候の情けない日常であった。
 親戚同士はひそひそと悪口の言い合い。食糧難であぜ道の草まで取って、茹でて食べた。
 母は食材を手に入れるために、彼女の自慢であった錦紗の着物を、農家に出かけて米と交換したが、足元を見られて買いたたかれたと辛そうであった。
 田舎の道を歩くと、横の石垣からよくペロペロとヘビが鎌首を出し、私は全身が総毛だって、夢に見た。
  虫に食われて手足が化膿した。兎に角、筆者は田舎が死ぬほど嫌いだった。
 言葉もイントネーションが違うので、悪ガキに「もう1度ゆうてみぃ」と苛められた。
 悪ガキたちは竹の棒で筆者の股間をつつき、ゲタゲタと下品に笑った。
 ある暑い夏の日に、小間使いで出入りしていた小柄なオジサンが、疎開先の親戚の台所に入ってきて、知ったかぶりにニュースを告げた。
 「なんか広島の方に、新型爆弾が落ちたそうじゃ」と言ったが、大人たちは生活に忙しく誰も注意する者はいなかった。
 田舎の家には縦型の古い真空管ラジオはあったが、誰も付けようともせず、その情報は無視されたままで何日も過ぎた。
 疎開先では戦争末期に、新聞も配達されなかったので、多分、大人たちも原爆の正しい情報は掴めていなかったはずである。
 当時は勿論テレビはなく、ネットもなく、真空管ラジオが唯一の情報源であったが、日々生きるための食材入手に忙しい親たちは、中央の戦争ニュースなど気にかける余裕もなかったのだろう。
 年齢的に幸いだったのが、筆者の実家は親も兄たちも赤紙(召集令状)で取られることもなく、全員が無事に終戦を迎えた。しかし、家はまる焼け、父親は失業、戦後はまた苦難の日々であった。
 さて、今回の広島サミットで、何が驚いたと言って、ウクライナのゼレンスキー大統領がいらしたことである。そんなに世界中を飛び回って、テロが危なくないのか。どうかご無事に帰国されますように祈りたい。
 3時半ごろに彼は広島空港に無事到着されたとニュースに出たが、能天気に相撲の中継をやっている局もあった。
 筆者はネットニュースで見た。
 ゼレンスキーさんは1978年生まれの45歳である。わが息子よりも若い!
 彼の来日は密かに日本側が薦めたのであろうが、危ないことをするなあ。世界中のVIPが集う円卓の上に、北朝鮮のミサイルが飛んで来たらどうするのだ。
 決して荒唐無稽な話ではない。
 日本に優秀な迎撃網があればいいが、以前、民放連のドキュメントで頼りないのを見たことがある。
 G7が何事もなく無事に終わることを、心底、祈りたい。(2023、5、20)。
                                              (無断転載禁止)