10月5日の雨の土曜日、雨だから空いているだろうと思った筆者の予想は、見事に覆された。上野の国立西洋美術館『モネ』展である。 クロード・モネが日本で大人気なのはわかっていたが、これほどとは思わなかった。 JR上野駅の公園口を降りた時から、広場に超長い行列が出来ているので、何のイベントだろうかと訝りながら進んでゆくと、途中で整理のお姉さんがいた。 「えーっ、これ、『モネ』ですか?」と聞くと、「はい、あっちにも並んでいますけど、ここと同じですよ。なんせモネは人気があるから・・・」と言う。 わざわざ雨の日に来て、朝早いと空いているだろうと思ったら、ヌカもぬか、既に長蛇の列なのである。しかも、雨が降りやまない。 取り敢えず横を通り越して国立西洋美術館の前まで行く。 奥の建物からずーっと並んでいる行列が門をとおり越して、歩道をくにゃっと曲がり、延々と続いて、また、角を曲がって・・・L字型に続く。 やっと最後尾のシルシを見つけて並んだのである。 前も後ろもアベックだらけ。 それに背の高い若い人が多いのである。 筆者の様に背が小さくて、高齢者は見渡す限り皆無である。 筆者のすぐ前のアベックには、なんか微妙に違和感があった。 女性は物凄く長い髪を背中に垂らしていて、モノトーンのロングスカートを着ている。 横の男性は床屋に行ったばかりのような、真っ白のうなじが目立つ。時々左側の女性の方を向くので、ハンサムな横顔が見える。 傘は男性が彼女に差し掛けているので、彼の右肩が濡れている。 その内、声が聞こえて、違和感の理由がわかった。 日本語ではなかったのである。多分中国語だろう、韓国語ではなかった。 そう思って前後を見渡すと、背の高い外国人だらけだった。東洋人ばかリだが。 オーバーツーリズムかいな。 わざわざ『モネ』展を見るために飛行機で海を渡ってきたのか。まさか、旅行のスケジュールの中に『モネ』展が入れられたのであろう。道理で混むわけである。 1時間も過ぎたころ、漸く筆者は建物の前の屋根のある所まで来た。 「チケット持っていないぞ」と心配していると、途中で、「チケット」はあっちという矢印が見え、列を離れて窓口に行き、大人2,300円のチケットを買った。 残念ながらシニア入場料はなかった。 買って列に戻り、えーっ、また最後に並ぶのか、と心配していると、案内のお姉さんが、「当日券の方はどうぞ」とすぐ列の途中に入れてくれた。ホッとした。 既にお昼近くなっている。 館内に入ってからも、また、行列である。以後はパス! 筆者は身内がパリに留学していた頃、ヨーロッパには行きまくっていたので、パリにもよく滞在した。 今回の展覧会の画家、クロード・モネの、例の壁面一杯の『睡蓮』もパリで何度も見た。 しかし、今回の作品は、壁面一杯の『睡蓮』に至る<大装飾画への道>と分類された単体の『睡蓮』ばかりで、ぎっしり並んだ睡蓮は壮観の限りである。 解説によれば、マルモッタン・モネ美術館から約50点の作品が来ていて、それに加えて日本国内で所蔵されている作品と合わせて、リストには67点とある。 パンフレットのキャッチフレーズは、〈睡蓮〉20点以上が集結、晩年の制作に焦点をあてた究極のモネ展、と書かれている。 なるほど、眩暈がしそうな〈睡蓮〉群である。 『睡蓮』は置いておいて。 今回の展覧会の中で、筆者が惹かれたのは、絵葉書にもなっている『陽を浴びるポプラ並木』という作品である。 Poplas in the Sunと英語の題がついている。 白い雲が浮かんでいる青空を背景にして、真っすぐ天に向かって伸びている3本の木。 全体に薄黄緑色に塗られた樹々の葉っぱや下草が、優しい春の伊吹を感じさせる。 この絵は入館直後の2番目の展示画であるが、<セーヌ河から睡蓮の池へ>という文類に入っているので、田舎の風景かと思ったら違うのであった。 この絵は、わが国立西洋美術館(松方コレクション)の所蔵で、1891年制作。 トップに展示されている『舟遊び』という2人の少女の有名な絵も、松方コレクションのものであった。ふえー。金持ちが日本にもいる。 分類4番<交響する色彩>の中は、ほとんどが『日本の橋』The Japanese Bridge である。 日本庭園に時々見られる真っ赤な太鼓橋である。 以前、パリで見た時は、本当に真っ赤っかの太鼓橋が描かれていたと記憶しているが、今回展示されている8つの橋は、みんなくすんだ色で、日本の太鼓橋とは感じが違った。 経年変化で色がくすんだのか? まさか。 写真を撮っていい部屋で、スマホを持った大観客が、『睡蓮』ばかり追いかけていたけれど、臍曲がりの筆者は、今回、初めて見る、モネがロンドンに行った時に描いたらしいイギリスの橋の絵に惹かれた。 『チャーリング・クロス橋』とか、『ウォータル―橋・ロンドン』とか、やっぱり同じ人が描いているのに、見た瞬間に「これはフランスじゃないぞ」と感じたのは、画家の表現の鋭さのしからしむるところだろう。 しかし、モネの自宅の庭の何とはない安心と落ち着きは、画家の心が晩年まで、わが庭を愛したことの証明のように思えたのである。 モネさんは『睡蓮』ばかりじゃないぞ。(2024.10.11.)。 (無断転載禁止)