7月30日の朝、カムチャッカ半島付近を震源とする推定マグニチュード8・7の大地震が発生した。 最初は千葉県の太平洋側に住んでいる親友からであった。 メールに曰く。 「朝からサイレンが鳴りっぱなしで落ち着かない1日です。大きな大きな自然現象なので、仕方ないですね。悟りの境地です、云々」 彼女は1戸建てに住んでいて、第2次世界大戦中、千葉県の東側からアメリカに向けて飛ばされたナンセンスな風船爆弾について、読書家なので非常に詳しい。 また、やはり太平洋側が関係していた予科練についても、物知りである。 メールの後の電話で、避難を呼びかける車のことも、詳しく描写してくれた。 彼女の家にはエアコンがなく、冷房していないのだが、海からの涼しい風が常時吹いていて、扇風機も、ついこの間出してきたばかりという。 町中がコンクリートジャングルの東京より、よほど涼しいのであろう。 でも、なにしろ海辺の住民なので、「津波が来るそうですよ。気を付けてね」と筆者は念を押したのである。 午後になって、今度は鎌倉在住の親しい友人から、PCにメールが来た。 大学時代からのポン友で、「出席すれども授業には出ず」とばかり、麻雀ばかりやってきた仲間の1人である。 住所は鎌倉の静かな住宅街であり、駅は大船まで出なければならない。 新築ピカピカの家で、筆者は何度もお邪魔したことがある。 筆者はたまたま朝からずっとテレビの地震・津波情報を見ていたので、大船駅の混乱も知っていた。 東海道線がストップしている上に、湘南新宿ラインも運休で、大船駅の前には、タクシー待ちの人々の長蛇の列が出来ているようだった。 「災害は忘れたころにやってくるってホントだね。ワイフが午前中に大船駅近くに買い物にでかけていた。 大船駅周辺ではバスも止まりタクシーは大行列で、帰るのが大変だった。 何とか熱中症にならずに帰宅した」 彼は、先日、運転免許を返納したばかりだったのである。 テレビで何度も映していた大船駅前のタクシー待ちの大行列は、何時ごろに解消したのであろうか。 これで2人目。 3人目は夕方である。 遠い西の方の兵庫県淡路島・洲本市に住んでいる1番仲のいい従妹からの長文のメールだった。 従妹自身も薬科大学の出身で、ご主人は数年前に亡くなられたが、有名な整形外科の医師だった。オペラとスキーが大好きで、奥様(従妹)と2人でオーストリアに出かけては、写真入りの葉書をくれた。 口の悪い筆者は、「若い頃ならいざ知らず、ド中年になっているのに、写真入りの手紙を送ってくるなんて気が知れない」と悪口を言っていたが、2人の近況が知れて嬉しかったのである。 大きな3階建の医院を残して彼は数年前に亡くなった。 地域では有名医院の院長だったのに、ご主人には肉体的に弱点があった。 彼は子供の頃、大陸からの引揚者であった。 正確には知らないが、とにかく、朝鮮からの引き揚げ船に乗るまでに、親たちに手を引かれて歩きに歩いたという。 飢えた子供たちは、港を目指して歩いている途中、空腹に耐えかねて道端の草を食べたのだそうだ。 だから、従妹のご主人は成人してからも、葉っぱもの、緑や赤のお野菜がどうしても食べられなかった。道端の馬糞の匂いのする草が、飢えた身体を満たす食料だったからだ。 野菜が食べられないご主人は、年中便秘していて、奥様(従妹)が3日にあげず浣腸をしてあげていたのである。 可哀想に。 「先生、先生とまだ亡夫を慕ってくれていた近所のおばさまたちがねえ、今朝からの津波について電話をかけてきたの」 「大津波になって襲ってきたら、先生の所の整形外科医院のビルの3階に、皆で逃げ込むからね、遠方まで逃げられへんから」ですって。 「もし逃げてきたらと3階にお茶とポカリ等を用意してあります」と従妹は真面目に話した(笑)。 大した津波ではなかったので、こんな軽口を叩けるが、遠くカムチャッカの大地震が、関西の淡路島まで、津波談義を起こさせたとは驚きであった。 ニッポン全国の海岸ぶちに、朝の8時台からえんえんと津波情報を流しっぱなしであったNHK総合、今回は各民放も、相当長い間の津波報道であった。 3、11の時のような、真っ黒の帯になって家々を襲ってきた大津波にならずによかった。 鎌倉の友人が言う通り、『災害は忘れた頃にやってくる』である。 千葉県の友人、鎌倉の友人、淡路島の従妹、3人揃っての津波情報に明け暮れた7月30日だった。 カムチャッカならば平常心でいられるが、心のどこかで、常に大地震の恐怖が漂っている日常だ。筆者が神経質過ぎるのだろうか(2025.7.31.)。 (無断転載禁止)