久米宏さんで思い出すのは、2001年9月11日の同時多発テロ事件当日のことである。
テレビ朝日の『ニュースステーション』を、筆者は毎晩視聴していたので、その日も家事万端を片付けてから、リビングのテレビの前に行った。
前面に久米さんが座っていて、背景に映っている画面を、チラチラと気にしていらしたと記憶する。
背景には、かの恐ろしいアメリカの同時多発テロにおける、ツインタワービルに、巨大な飛行機が突っ込んで、煙がもうもうと広がっている光景が映っていた。
流石の久米さんでも、この非日常の恐怖の画面に、反射神経ピカイチのキャスターとしても余り滑らかに言葉が出なかったように見えた。
記憶違いならば、ごめんなさい。
それから後は怒涛の如く、すべてがこの忌まわしい現代史事件に費やされることになったのである。
筆者は生身の久米宏さんを2回目撃したことがある。
筆者が某週刊誌に約10年、コラムを連載していた時、テレビ業界人のパーティに招待された。どこの主催だったかさっぱり覚えていないのだが。
例によって三々五々、出席者たちが飲みもの片手にお喋りしている真ん中に、まるで透明なカプセルに入っているかのような場所があった。
久米宏さんと黒柳徹子さんの2人だった。
久米さんはスリムで背が高い。
黒柳さんも凄く高いハイヒールを履いていた。
2人は並んで、黙ったまま、立っていた。
「自分たちが来るところじゃないわ」とでも言いたげな素っ気なさで笑顔もなかった。
筆者は「なるほど、スターらしいな」と内心感服しつつ、アッという間に知人を見つけてその場を去ったので、後は知らない。
もう1度は、久米さんがテレビ批評を書いている人たちによる団体が、表彰する個人の優秀賞を受賞された時の会場でであった。
ステージに上がった久米さんは、例によって、テレからか「場違いぶり」を強調したような挨拶をなさったように記憶する。
彼を推薦した中年以上のメンバーたちは、みんなが久米さんのフアンであったので、客席人たちの注目率は高かったが、筆者はその時も、あまり久米さんには接近しなかった。
何より残念だったのは、『久米宏』という稀有な反射神経お喋りの達人が、若返りのためだか、スポンサーの申し出だか知らないが、またまだ壮年期の脂が乗り切った時代に、首切られて『ニュースステーション』から消えたことであつた。
本人には何のこだわりもないけれど、『ニュースステーション』の後番組のキャスター・古舘伊知郎さんが、渋谷かどこかの小屋で、マシンガントークのお喋りをしたというニュースが筆者の耳にも飛び込んできて、ものすごく持ち上げられていたので、「久米さん喪失」の傷は誤魔化されたのだった。
久米さんがお亡くなりになってから放映された最後のビールを、当時筆者は見ていない。
多分、見たくなかったのである。
頭脳にボケが来たらダメだが、久米さんにはもっとずっと高齢になられるまで、『ニュースステーション』のキャスターをやらせたかった。
ひょろひょろと背が高く、国籍不明のようにハンサムな垢抜けぶり、おおよそ『早稲田』のバンカラ風ではなく、お子様は作らない?
何より筆者が好きだったのは、奥様が調達なさった流行の洋服とはウラハラに、久米宏というキャラクターは、時流に乗らなかったこと。
今の背の高い美男子のタレントたちは、みんながみんな、同じ。
着ている洋服ばかりでなく、髪型、喋り方、ダンスパフォーマンス、恐らく頭の中もみな同じ。それだけ自信がないのだ、取りまき達も。
久米宏的キャスターは2度と現れない。
まことに残念の極みである。
秀才の大越健介さんを見てごらんなさい。
彼は端正な語り口で、テレビ朝日の番組の中心に座っているのに、まだ、NHKの看板を背負っている。やれやれ。
久米さんはテレビ朝日でもTBSの看板は背負っていなくて、どこまでも久米宏だった。
哀しいけど、合掌。
さて、題に取り上げた『ばけばけ』は全く面白くない。
具体例の1つを挙げると。
没落士族のトキ(高石あかり)の実家が、稼ぎが悪くて借金まみれの時の話である。
武士に未練があって、まだちょんまげをつけ、年がら年中、刀をもってい合い抜きをしている祖父の松野勘右衛門(小日向文世)。
頼りない父親の松野司之介(岡部たかし)と、おとなしい母親の松野フミ(池脇千鶴)。
彼らの大家族が、真昼間からみんな家にいる。
しかも、借金まみれなのだから、女は内職でもしていて、男たちは外に稼ぎに行っていそうなものなのに、何だ、こりゃ、ぶらぶらしている。それどころか。
みんなでスキップの稽古をしているのである。
この脚本家は、本当にプロなのか?
ヘブンとのやり取りも、わざと笑わせよう笑わせようとして、下手くそな日本語を喋らせたりして、聞くに堪えない。早くお引き取り願いたい。(2026.1.20)。喝!
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