毎月3回ずつ書いておりましたこのエッセイを、まだ書くことが出来ません。 2分前まで明るく笑っていた人が、突然、地上から消えた喪失感は言葉に出来ないのです。 家族思いで優しかった夫とは、55年にわたる明るく楽しい結婚生活でした。 人間社会は、やっぱり「一寸先は闇」というのが、今の私の想いです(涙)。 先日、マンションのインターホンが鳴ったので、受話器を手に取ると、何と何と、朝日新聞さんの勧誘であった。「朝日新聞を購読していただけませんか」という内容の話で、「家は毎日新聞の購読券をもっている元社員ですけど・・・」と答えると、勧誘氏はアタフタと去っていった。 天下の朝日新聞が勧誘にくるなんて、以前には考えられなかった。 部数が激減しているのは本当らしい。アサヒというブランドに対する誇りも捨てて、勧誘するようになったのかと、ちょっと悲しかった。 一方、ニュースによると、毎日新聞は資本金を41億5千万円から、1億円に減資するそうである。背景には、紙媒体の底知れぬ不況がある。新聞は売れない、本屋は潰れる、活字媒体の印刷物は限りなく減ってゆく。 寸足らずのネットの文章だけで、果たして文化は守れるのであろうか。 夫は元毎日新聞記者で、大学を出て東京本社に就職して以来、一度も地方への転勤がなかった。学芸部だとか、月刊エコノミスト編集部だとか、あちこち部署は異動したが、終始一貫、有楽町の東京本社→竹橋の東京本社に通勤していた。 定年退職して以来、『終身名誉職員』という肩書をいただいて、12年間、複数の大学教授になっても、毎日新聞社とはご縁があったのである。 今の紙媒体不況の時代に新聞記者をやっていなくて、よかった。不景気な社員リストラ話ばかり聞かされると気が滅入っただろう。彼はいい時代に新聞記者だったと思う。 その代わり、パソコンもスマホもなかった頃で(終りの頃にPCは使っていたが)、朝出て行ったきり、鉄砲玉が飛んでゆくように、夜遅く帰宅するまで、どこで何をしているのか電話一本よこさず出たっきり。家に電話するなんて沽券にかかわると思っていたのだろう。 見かけはスラリとした優男で、社交競技ダンスなどをやっていたが、中身は男臭い新聞記者そのもので、不器用、人に対する気遣い欠如のブンヤだった。 今は絶滅危惧種である。 若いころの朝日新聞と毎日新聞との、彼が体験した社風の違いを2点だけ書いて、今回のエッセイはお終いにさせていただく。 その① 彼が出版局のサンデー毎日編集部にいた頃だ。まだそれほど貧乏でなかった毎日新聞は、西武線沿線に自社のグラウンドをもっていて、休日によくそこで週刊朝日の編集部の方と野球の試合をやっていた。 毎日方のピッチャーは夫で、よくユニフォームを泥だらけにして帰ってきた。サンデー毎日の記者たちは、てんでんばらばらに現地で解散するのだが、朝日の記者たちは試合後に揃ってどこかに移動して宴会みたいなのをやっていたらしい。 とにかく、毎日の社風は個の屹立! フランス人みたいなものである。 そういえば思い出したが、会社とトラブって、竹橋の本社の前で「自殺してやる」と啖呵を切ったO記者もいたっけ。 毎日新聞が貧乏になり、グラウンドを次々に売り払ってしまったので、試合もなくなり、野球好きの彼はとても残念そうだった。日本一歴史のある毎日新聞だったから、資産を売ることによって辛うじて生き残ってきたのである。 その② 夫が事業部に在籍していたころのことである。当時、毎日新聞が画壇の登竜門である『安井賞』というコンクールを主宰していた。画壇の芥川賞と言われる。 画壇の大御所である梅原龍三郎さんと並ぶ安井曽太郎さんを記念した賞である。よく西武百貨店池袋店で、表彰式と入賞作品の展覧会をやったのである。 今を時めく絹谷幸二さんが安井賞を取られたのは1974年である。池袋の東京芸術劇場の大ホールへ上がってゆくと、天井に極彩色の丸い絵が描かれている。あの絵は絹谷幸二さんの絵だ。わが家にも習作をいただいた。 その安井賞の担当者であった夫が、笑いながらよく言っていたのは、朝日新聞と毎日新聞の社風の違いであった。 安井賞は由緒ある画壇の新人賞であるからして、贈賞式には社長が出席する。毎日新聞社の社長である。 こういうセレモニーは朝日にも他紙にもある。 朝日新聞も他紙も、社長が出席するイベントには、お付きの社員がゾロゾロとついてくるのだそうだ。部長や副部長以下、担当者やその他。社長のお出ましとあって、機会あれば接近して会話でもできれば、社長の覚えめでたくなるという魂胆である。 ところがだ。 毎日新聞の社員は全く逆で、直接の担当者はいなければならないが、その他大勢は、みんなこう言うのだそうだ。 「あ、社長が出るのね。じゃ、他はいらねーな。オレたちは行かなくていいね」だって。 それでもって秘書がいるだけで、ほかの社員はみんな帰っちゃうのが毎日社員の通例だったそうだ! やっぱり、フランス人みたいだ。朝日の記者と毎日の記者はこうも違ったのである。 古き良きブンヤ時代の夫の体験談である。天国にいる彼は読んでいるだろうか(涙)。 (2021.1.30) (無断転載禁止)