「偏差値という面妖なもの」

 受験シーズン真っ盛り、3月の大学受験まで延々と少年少女の格闘が続く。われわれの受験時代にはなかった「偏差値」というバケモノが、人間のレッテルになって歩いている。
 大学受験で最難関と言われる「東京大学理科三類」の偏差値は、某予備校のHPでは、72以上になっている。他の「理科一類」や「理科二類」では67以上であるから、理Ⅲが如何に難しいかわかる。
 「理科三類」は医学部へ進学するコースである。
 72以上ということは、入学試験で難しい東京大学の問題をほとんど間違えないで正答しているということだから、私なんか気味が悪いと思う。
 人間、ケアレスミスや勘違いをしてこそ人間らしいと思うので、満点に近い正解を、限られた試験時間の中で書ける人は、ちょっと言葉は悪いが、おかしいのではないかとさえ思ってしまう。ゴメン。
 それで、私が体験したあるシーンを思い出す。
 今から十数年ぐらい前のことである。
 瞼がおかしく、右目が、よく言われる眼瞼下垂らしくなって視野狭窄になった。鬱陶しいので眼科に行こうとしたら、その頃は今ある近くの大型病院もなく、個人のクリニックでも眼科は全くなかった。1駅先の昔からあるS眼科は、今時流行らぬ目の洗浄から始めると聞いて、敬遠せざるを得なかった。おじいさんの先生が1人でやっていたのだ。
 ついでなら、最先端の治療をしてくれるだろうと、東大病院の眼科に行ったのである。
 紹介もないのにすぐ受付をしてくれて、若いX先生がご担当ということで、機械で色々調べられた。ここまではまともだったのだが、待合室の前の壁に、先生方のお名前がずらりと書いてあるのに、その中にX先生の名前はなかった。
 私は「多分、お若いから、まだ担当がないのだろう」と善意に解釈して、すぐ忘れてしまった。次回の診察日を予約して、自宅に戻った。
 その晩の午後8時頃のことである。
 自宅の電話が鳴った。スマホもガラケーもない頃なので、当然固定電話である。
 「・・・さんのお宅ですか」と聞き覚えのある声である。私は耳がよくて、1度聴力の検査で両耳とも100点満点を取ったことがある。間違いなく昼間のX先生の声である。
 「はい、先生、なにか?」
 「いや、ちょっと」と言って、後は黙っている。
 「どんなご用ですか」と聞くと、やっぱり、むにゃむにゃ。事務員や看護師でなくて何でいきなり先生なのだ。
 私は少し異様な感じがしてきて、尋ねた。
 「先生、どこからかけていらっしゃるのですか」
 「いや、病院の眼科からですよ」
 おかしい。明らかにおかしい。わが固定電話の液晶に出ている番号は、東大病院のそれではない。局番があのあたりの番号ではない。
 だから、私は突っ込んだ。
 「先生、番号は病院の局番ではありませんよ。ここにちゃんとおかけの電話番号が出ていますけど。初診の患者の個人電話番号を病院外にお持ち出しになってもいいんですか。それ、違反じゃないですか」。
 だんだん薄気味悪くなっていた私は、咎めるように聞いたのである。
 X先生は最後まで、病院内でかけていると言いながら、用件は何も言わないのであった。私が絶世の美人ででもあったら、関心を持ってくれたと思うかもしれないが、こっちは普通のオバサンである。はてな、はてな、で気味悪さだけが残った。
 翌日、私は正確なことは忘れたが、兎に角、眼科を管轄する医局だかどこかに電話を掛けた。カクカクしかじか、「初診の患者の電話番号を持ち出して、自宅に電話なさってもよろしいんですか」と聞いた。相手は、ため息をついて、「ああ、やりましたか。申し訳ありません。厳重注意しておきます」と平謝りであった。
 私は家族と、「X先生の担当医表示がなかったのは、あの人がヘンだったからなのね」と言い合って、以後、予約もキャンセルし、2度と東大病院へ行くことはなかったのである。
 東大病院様、名誉棄損で訴えたりできませんよ。私が身をもって体験した実話です。
 このX先生が「理Ⅲ」出身の東大医学部卒業の方かどうかは知らない。でも、常識的に考えて、使いものにならないから、自分の病院の当たり障りのない眼科に居させて、でも危ないから医者の名前の中に列記していなかったのではないのか。
 東大医学部の学生はほとんどが優秀な人たちだろうが、間違いなく変な学生も混じっているように思える。大体、異様に勉強だけできる秀才をペーパーテストで選抜して、果たして「人間を診る」という崇高な目的に叶う人材を選ぶことができるのか。
 別の例だが、知人の子供と同年だったR君は幼稚園生の時から異常だった。彼は生き物に執着があって、しかも、小さな生き物を捕まえては、足をもぎ、手をもぎしてバラバラに解剖するのが趣味だった。まるで、かの酒鬼薔薇聖斗みたいだと知人はいつも言っていたが、そのR君が長じて「理Ⅲ」に入った。今はもう医者になっているだろうが、怖い。
 昔の東大は「文Ⅰ」「文Ⅱ」と「理Ⅰ」「理Ⅱ」しかなかった。私が受験したのも「文Ⅱ」である。当然、「理Ⅲ」はなくて、医学部には「理Ⅱ」からの希望者が進学した。農学部へ進学する人たちと同じように駒場で教養学部を過ごして、医者になったのである。
 異様に偏差値だけ高い学生を初年度(つまり、高校生)から選別する今の受験体制はどうなのだろう。頭でっかちであたりを睥睨する人格に欠けた人間が混じる危険がある。どこかのキャスターの、いやらしい不倫亭主が、開成高校→理Ⅲと聞いて、「やっぱり」と思ったのは私だけではあるまい。
 今更「医は仁術」とは言わないけれど、異様に高い偏差値秀才だけを取る東大医学部の学生が進むであろう東大病院には、私は2度と行かないつもりである。(2021.2.11)
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