「訃報が相次ぐ 大林宜彦さん 堀川とんこうさん 大原れいこさん」

 自分が高齢になったからとはいえ、このところ知人の訃報が相次いでいて、淋しい。今回に限り、この雑文のタイトルにある『クスッと』は外させていただく。
 4月10日、大林宜彦映画監督がお亡くなりになった。私は映画人ではないので、映画界の話は出来ない。大林さんとはテレビドラマのコンクールの審査員を何度かご一緒したのである。何十年も前に1度、紀尾井町の文春ビルで行われた民間放送連盟賞の審査会でご一緒した時には、映画人のテレビ番組への視点は、テレビ界のわれわれとは少し違うなあという印象をもった。
 最近では、民放連賞・中国四国地区大会の審査会で4人の審査員の中のおひとりであった。奥様のお体の具合が悪く、大林監督が自ら奥様の車椅子を押して飛行機に乗ってこられた。ご自身が癌で余命宣告を受けていられたのに、すこぶるお元気な様子で、審査会でも滔々と持論を述べられた。
 選考会では、事前に審査、採点したものの一覧表を、前日に審査員だけで検討する。すでに審査員による採点の合計が全部の応募社についてズラーっと出ている。
 トップの10点から1点まで、1点刻みで投票され、合計点が一目瞭然である。満点は4人が総て10点を入れたとすると40点となる。
 その日、事前の打ち合わせの時に、確か合計点で第4位ぐらいにあった某局の「心臓移植」の作品について、私がボソッと「心臓移植は善である、と誰が決めたのか」と呟いた。4位ぐらいにあれば当然その地区の優秀賞当選圏内である。投票数字は絶対なので、この作品が賞の対象になることを既定の事実として諦めていた。私は心臓移植を美談とは考えないから、辛い点を入れていたのだ。
 翌日、大きな会場で幹事社が司会をして、応募社すべての担当者たちが参加する選考会の前に、大林さんが突然おっしゃった。「昨日、麻生さんが言われた『心臓移植は善と、誰が決めたのか』に賛成です。これは外しましょう」。いきなりだったので私は驚いた。
 大監督の鶴の一声で、その作品は受賞対象作品から除外されたのである。事前投票による数字は無視されたが、私が長い間あちこちのコンクールで審査員をやっていた中で、こういう体験は初めてであった。映画監督という職業は、ボソッとどこかでつぶやく小者の発言も、ちゃんと掬い上げる人でなければ務まらないのだなあと思った。
 大林さん、ありがとうございました。
 堀川とんこうさんは大学の同期である。私は専攻が仏文科で彼は英文科であったので、長い間、全く知らなかった。TBSの有名プロデューサーということは知っていたが、私は業界人とは全く付き合わないので、面識もなかった。
 戦後の名作テレビドラマ『岸辺のアルバム』を作った人として、夙に有名だった彼の渾身作品を、こともあろうに私は連載していた週刊誌のコラムでやっつけたのである。1992年に放送されたTBSの『ジャック アンド ベティ物語』である。
 プロデューサーとディレクターが堀川とんこうさんで、脚本が今野勉さん。つまり、元TBSのエース中のエースたちであった。細部は忘れてしまったが、戦後の教科書に載ったアメリカの少年少女のキラキラした日常を、英語で教える内容で、田舎の中学生だった堀川さんたちの、彼らを羨ましく思い、憧れる視点で描かれていた。
 私も当然、この教科書は知っていたが、子供の頃から多分、後の辛口体質を持っていたのだろう、「ジャック&ベティ」の生活に憧れるどころか、ベティという名前さえ大嫌いだった。だから、日本中の少年少女がこの物語に憧れ夢中になったなどと言ってもらいたくはなかったのである。『岸辺のアルバム』以後、どの作品でも大向こうからひれ伏されていた堀川さんたちは、貶されてムカついたに違いない。
 後に、英文科出身の同期生と彼と3人で食事したりして、むしろ前より仲良くなった。
 ある時、ドラマ作りの苦労について、つくづく彼は言った。私が「日本のテレビドラマの音楽が洋物に比べて貧相だ。もっと劇伴にも目配りしたら」というと、「1本のテレビドラマの劇伴にいくらお金が使えるか知ってる? たった30万円なんだよ。精々著作権が切れた出来合いのCDから継ぎ接ぎで使うしかないのよ」と苦笑いした。
 テレビ界の緊縮財政は、大プロデューサーの思い通りの作品作りにブレーキをかけ、思い通りの作品作りがままならなかったのだろう。何でも金、金、金の世の中。
 また、彼がドラマ『李香蘭』(2007年)を作っていた時だ。文化庁の選考会か何かで会ったので、「『李香蘭』楽しみにしてます」というと、「主演が上戸彩なんだよ」と自嘲気味に笑った。言外に「おこちゃま向きだよ」と言っているように聞こえた。
 上戸さん、ごめんなさい。
 とんこうさんはいつもニコニコしていて、穏やかな人だった。そのくせ、ちゃっかり有名脚本家と再婚して、お食事会も彼女の店でやるような、抜け目のない人でもあった。
 さて、お終いはつい数日前に亡くなられた大原れいこさんである。
 大原れいこさんは女優の大原麗子さんとよく間違われるが、同姓同名同文字であっても、全く別人である。れいこさんは元TBS、今テレビマンユニオンのプロデューサーであった。くらしきコンサートのボスにして、大原総一郎氏のお嬢様、かの犬養一族の奥様で、美智子上皇后様ともご親戚である。つまり、天性のお嬢様である。
 彼女とはいつ知り合ったのか全く覚えていないのだが、これまた同じ大学の英文科出身の親友が、大原さんと親しかったので、間接的にお話は聞いていた。
 今回、亡くなられたことも、彼女からの電話で知った。「脳腫瘍で入院中」とは伺っていたが、まさか、こんなに早く亡くなるとは思わなかった。いつもお洒落なメッシュの髪をしていて、垢ぬけてチャーミングな女性だった。民放連賞でもよくご一緒した。
 可愛らしい見かけによらず毒舌家でもあって、テレビプロデューサーH氏の音楽葬がカザルスホールで行われた時、「これが生前葬なら誰も来なかったわね」と囁いた。つまり、H氏は癖のある人で、結構嫌われていたのを喝破したのである。
 皆様のご冥福を心からお祈り申し上げます。さようなら。(2020、4、30)

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