「ドキュメンタリーの『ナワリヌイ』は恐ろしい映画だ          プーチン大統領が最も怖れている男は今、9年の刑で牢獄にいる」

 2020年8月、シベリアのトムスクからモスクワまで飛ぶ飛行機の中で、ナワリヌイは毒を盛られて昏倒する。アレクセイ・ナワリヌイ氏とは弁護士にして、反体制派の政治家であり、インターネット上でプーチン政権を痛烈に批判して、若者に大人気のロシア人であった。
 2012年のアメリカ、タイム誌で「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれている世界的な有名人政治家である。
 飛行機の中での騒然たる事件の始まりからして、フィクションではないので、見ている方も怖いもの見たさで引き込まれる。
 オムスクに緊急着陸して病院に運ばれたナワリヌイ氏は、辛うじて一命をとりとめるが、妻の強硬な申し出により、病院側の反対を押し切ってドイツに移送された。当時のメルケル首相もコメントで登場する。
 後に判明するのだが、飛行機が緊急着陸したために、暗殺者の目算が外れてナワリヌイ氏は命が助かるのである。理由は後述する。
 ドイツの病院で奇跡的に体調が回復したナワリヌイ氏は、自ら立ち上がって、自分を抹殺しようとした巨大組織を暴こうと努力する。
 非常にスリリングな場面の連続であるが、何が凄いといって、彼らの存在自体が巨大なロシアの権力側に狙われているのに、その中で、わずかなメンバーで頭脳を駆使して調べてゆくのだ。その上、彼らの追及する日常そのものに密着したカメラが、べったりと記録している凄さである。極秘の行為であった。
 ナワリヌイ氏は何年も前から暗殺団のメンバーにつけ狙われていた。これはナワリヌイ側にとっても調査の材料になり得る。何故なら、いつも同じ顔が同じ飛行機に乗ってきたら、身辺をキリキリ警戒している彼にとっては、当然、怪しい奴だと思うからである。
 ナワリヌイ氏は自分が乗った飛行機のメンバーや同じ航空航路の飛行機を調べ上げ、ついに複数の妖しい人間を特定する。
 しかも、大胆にも彼自身が関係者を装って、上司への報告を語って暗殺者につぎつぎに電話をかけてゆくのだ。
 あるいは、単刀直入に「私はナワリヌイだ、なぜ殺そうとしたのか」と聞くのである。相手はビックリ仰天!
 別人を装う時に、ナワリヌイほどの有名人が、電話越しとはいえ、よくも声でバレなかったものである。
 暗殺者はやはり用心深い。だから、疑っているようではないのだが、ある時点から先は「この電話では言えない」と拒否する。
 その後がおかしい。
 「科学者の方が与しやすい」とばかり、科学者に誘導尋問を仕掛けたら、相手はペラペラと秘密重要事項をしゃべりまくったのだ!
 後にこの科学者は消息が消える。多分、消されたのである。
 この電話の映像を世界の大メディアに同時に発表させる。
 アレクセイ・ナワリヌイ氏とは、まことに勇気ある男性である。
 彼に使われた毒物は「ノビチョク」という神経ガスで、オウム真理教事件で使われたVXガスよりはるかに毒性が強い恐ろしい物質である。
 先述した「なぜナワリヌイ氏が、緊急着陸によって助かり、暗殺者の目的が達成できなかったか」の理由は、緊急着陸時にナワリヌイ氏には、解毒剤が注射されたからであった。
 まったく、事実は小説より奇なり、である。
 この映画は今年度のサンダンス映画祭でシークレット作品として上映されたダニエル・ロアー監督作品である。
 暗殺未遂事件直後からナワリヌイ一家に密着して撮影を始めたというから、監督たちスタッフもスリル満点の環境の中で撮ったのであろう。
 十分にその努力は画面から想像できる。
 その割に、カメラに向かって主義主張を述べるナワリヌイ氏は明るく饒舌である。
 夫人も知的で美しく、証言者の友人もハンサム。
 「毒をどのようにして彼に盛ったのか」については、ナワリヌイ氏の下着に細工をしたから、その下着をクリーニングしなければならなかったとか。
 映画の終りは、2021年1月17日にナワリヌイ氏は、敢えて危険なモスクワへ帰国するのである。
 そこには大勢のナワリヌイ氏支持者が待っていた。
 群集は叫ぶ。
 ウクライナと戦争中の現在のモスクワでは、反体制の表明をしただけで逮捕されるし、反体制派のメディアは存在していないかのようである。
 しかし、このドキュメントを見る限り、ナワリヌイ氏を支持する大勢のロシア人は存在するし、一見、まともな国民に見える。
 だが、『独裁者』プーチンはチャウシェスクのように暗殺もされないし、支持率は8割を超えている。一体、どうなっているんだと疑問に思う。
 その答えがこのドキュメントの終盤である。
 女も男もナワリヌイ氏を出迎えた空港での民衆は、片っ端から官憲に連れ去られて行くのである。見るに忍びないシーンである。
 カメラに向かって、まるで遺言のように語り掛けるナワリヌイ氏は、「自分が有名になればなるほど、相手は手を出しにくい。もし、私が殺されることになったら、それは私達がそれほど相手にとって脅威だということだ。諦めてはならない」と言った。
 この映画、必見の作品である。
 何という衝撃作であることか。(2022.6.20)
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