ベラルーシの大統領選が変なことになっている。ルカシェンコ大統領の6選には不正があったと反政権派のチハノフスカヤ氏が批判しているのだ。 ロシアでも野党勢力の指導者、ナワリヌイ氏が飛行機の中で毒を盛られたとして、ドイツに移送されたが病状は重篤だそうだ。 聞くだに恐ろしいニュースの数々で、あのあたりの国家には、遠いアジアの国のわれわれの想像を絶する闇があるように思える。 ベラルーシに関しては、女優の岸惠子さんがお書きになった『ベラルーシの林檎』という名著がある。そのベラルーシの南側に位置して、ロシアの西側にあるウクライナ共和国がカギになった映画、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』が今回の鑑賞目的である。 コロナ禍の中、感染が怖いし、東京の中でも特筆したクラスター発生繁華街にある映画館に出向くのは、正直恐ろしい。だから、空いている真昼間の時間帯をネットで抑えてチケットを取り、恐る恐る出かけた。小さな小屋だが、座席は×印で間引き売りされている。 何館かまとまっているので、あまり大きくないロビーには結構人が集まっている。窓がないので、「もろ3蜜だなあ」と怖気づくがどうしようもない。若い人ばかりでなく、高齢者の客も多く、1人で来たらしいおじいさんやおばあさんもいる。男女は半々。 ロビーに流れている音楽は、私が見る〇館とは違う館で上映されている『剣の舞』である。ハチャトリアン作曲の有名クラシックだから、ロビーの壁面に大きな五線紙がぶら下がっている。これも見たい映画だが、取りあえず『赤い闇』を見に来たのである。 開演前、館が静かなので、小声で連れと「冷房がきつい」などと話をしていたら、突然、私の右の1席置いた隣りの隣りのオヤジが、「喋るな!!!」と怒鳴った。 驚いて右を見ると、白髪交じりの中年オヤジが、目を三角にして私を睨みつけているのだ。 (!)!! 私は心底驚き、咄嗟に「ごめんなさい」と謝った。 が、よく考えると私はまだ開演前の座席に座って、物静かに会話していただけで、煩くバカ話をしていたのではないのだ。これが悪いコトか? 後ろの方でも誰か喋っているぞ。 「まだ開演前でしょ」と私がブツブツ言ったら、さすがにまずいと思ったのか、そのオヤジはむにゃむにゃいっていた。ははあ、これは寂しいオヤジが真昼間に連れもいない独りぼっちで映画を見に来ていて、2人連れで来た隣りの隣りの客に嫉妬しているのだな。貴方はヤモメか、もてずに中年になった独身男か、はたまたコロナ派遣切りに遭った人か。 行きずりの人は怖いので、私は首をすくめて、以後、一言も発しなかったのである。 コロナでなければ、観劇や鑑賞の前に、連れと談論風発は楽しみなんだけれど。 こんなオヤジが怒鳴っている映画館なんか、際限もなく客は減るよ。 さて、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』は、「さもありなん」映画だった。私もスターリン時代の後半を生きた人間なので、ソ連のイメージと内容が一致したのである。 若いイギリス人のフリーランス記者、ガレス・ジョーンズ(ジェームズ・ノートン)は、世界中に吹き荒れている恐慌の嵐の中で、ソ連だけが経済的繁栄を謳歌しているのはおかしいと疑問を持っていた。ヒトラーにもインタビューした経験のあるジョーンズは、単身モスクワに乗り込む。実話である。 モスクワにいる友人記者のポール・クレブはジョーンズが到着する前に強盗に襲われて亡くなったと聞かされるが、背後から4発もの銃弾を浴びていたと聞き、ジョーンズは当局による暗殺を疑う。 ソ連の成功を描いてピュリッツァー賞を取ったニューヨーク・タイムズのモスクワ支局長、デュランティはスターリンにインタビューしたいというと冷ややかにあしらう。彼の部下のエイダ・ブルックスは、当局に監視されていたが、ジョーンズとの会話をレコードをかけて妨害して、「ウクライナ」と呟く。殺されたポールが何か嗅ぎつけていたのか。 母も昔住んでいたスターリノへ列車で向かう途中、ジョーンズは監視役だと思われる紳士を巻いて貨物列車に乗り込むと、そこにはぎゅうぎゅう詰めの飢えた農民が、彼の食料を舌なめずりして見つめ、パンとコートを交換する。 官憲に追われて命からがらスターリノに辿り着くと。雪の大地に死骸がチラホラ、家々には飢えた子供が震えていて、焼いた肉をむさぼるように食べている。それは肉を残して死んだ兄弟の人肉だった。この場面に流れる恐ろしい飢えの歌。「・・・私たちの隣人は、もう正気を失ってしまった・・・」。モスクワを富ませる穀倉地帯のウクライナは人肉までも食う飢餓の荒野であったのだ。 ジョーンズは英国に帰り、若者の正義感で世界に告発しようとするが・・・。 1言でいって小屋へ見にいった甲斐はあった映画だ。 『赤い闇』とは勿論、冷戦時代の東側、スターリンが支配したソビエト連邦の共産党独裁時代の陰の部分をさす。表向きの繁栄は嘘っぱちで、スターリンとそのイチマキを富ませるために、何百万人もの飢餓の民を犠牲にした。西側はヨイショ記事に賞を与え、若き正義の心を冷ややかに切り捨てたのである。 後にジョーンズ記者は満州でわずか30歳の誕生日目前に暗殺される。関わった人間がモスクワと通じていたと後記に書かれている。ソ連とは、ロシアとは、全く嫌な国である。 主演のノートンが爽やかである。 最初の頃に出てくるホテルのパーティで、西側の記者が素っ裸で飲み呆ける姿は、禁欲的な東側から見た退廃の西側批判なのか、あるいは、西側記者を篭絡するために東側が仕掛けた懐柔策なのか、見ていてよくわからなかった。もう1か所は、ジョーンズが官憲に追われているはずなのに、どうやってウクライナからモスクワへ誰何されず捕まりもせずに戻れたのかが疑問だった。 右にしろ左にしろ、独裁者の功罪の<罪>は隠蔽されるのが常だ。 今のアジアの某国や某国にも人肉を食う飢餓の地はあるのではないか。(2020.8.23) (無断転載禁止)