木の芽時の眩暈でフラフラしながら、1カ月も伸ばした京都行きを強行して、疲れでよたよたしながら帰ってきた。体調が悪いので、面会予定の人にも会わず、初日の要件は済ませたが、2日目は、都七福神巡りのうち、4時間のドライブを3時間に短縮してもらって、宇治の万福寺はパス。都六福神だけを巡ってきた。 私は実家のお墓が東山浄苑にあるので、何度となく京都には行っているが、ドジなことに京都に「都七福神」があることさえ知らなかった。東京では越年を大ホテルのお正月プランで過ごすと、下町の七福神巡りに案内してくれるチョイスもあって、行ったことがある。 Gタクシーという大手を予約してあったので、2日目の朝きっかり9時半に迎えが来た。 コロナで観光客も激減、運転手さんはすごく低姿勢に迎えてくれた。泊ったのは京都駅の中にある大ホテルなので、Gタクシーの人とホテルの人と複数人に最敬礼されてVIP気分。 1番目に行ったのは近くの六波羅蜜寺である。東山区松原通り大和大路東入ル。 六波羅蜜寺は弁財天である。 大昔、ここには来たことがある。というのは、私はヘソ曲がりで、大方の判官びいきが日本人なのに、私はむさ苦しい武家の源氏より、滅びの平家の方が好きだし、平家の方が芸術家タイプの人間が多いように思えて関心がある。昔の六波羅蜜寺より相当立派になった。さては儲かっているな(笑)。朱塗りの柱が美しい。 六波羅蜜寺は十一面観世音菩薩立像という国宝がご本尊であるが、他に重要文化財の空也上人の立像などと共に、木造の重要文化財である平清盛サンの座像もある。 平清盛像は目も鼻も唇も大きい立派な顔をしていて、源氏が好きな人々からは悪の権化みたいに言われているが、大きな耳がふくよかな、むしろ太っ腹の爺さまに見える。 NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、松平健さんがこの木像にそっくりだった。 ただし、拝観したわけではなく、当寺の立派な案内本に映っている写真だ。 200円でお神籤を引いたら、なんと、「大吉」が出た。総論は「おもうがままになる運です」と良いことが書いてあったが、肝心の「病気」の項目は「日頃を気をつけよ」と意味不明の文章である。「快癒」とあってほしかった。 現在の『鎌倉殿の13人』では、後白河法皇(西田敏行)が亡くなったところである。 六波羅蜜寺の小冊子の中の年表を見ると、建久元年(1190)に「11月7日、源頼朝上洛して六波羅蜜寺に着く」と書いてある。 放送中の大河ドラマもその寸前まで来ていて興味深かった。本当にわが日本の歴史もすごいものだ。12世紀の史実が手に取るようにわかるから。 2番目はすぐ近くの恵美須神社、つまり、ゑびす神社である。商売繁盛の神様。 東山区大和大路通四条下ル。 鳥居には立派なゑびす様の顔がついていて、脇の小さな祠には「松下幸之助」さんが寄贈なさったと書いてある。さあすが、元松下電器のオーナーである。 3番目の寿老神・革堂(コウドウと読む)に行く前に、近くの一保堂本店でお茶を買った。毎度毎度、京都にくる度に、ここでお茶を買う。 高級茶ではない「日月」を2袋買ったら、以前は100gが千円だったのに、これが同じ値段で80g入りになっていた。実質の値上げだ。せこーい。2袋買っても160gなのだ。 3番目は一保堂近くの革堂。中京区寺町通り竹屋町上ル。 境内に蓮の鉢植えが無数にあり、惜しいことに大輪の花が咲く寸前で、蕾ばかりだった。 この日は関東では梅雨入りの日で、京都も雨。 好き好んで雨の平日に都七福神巡りをする人は少なく、私と連れとの珍道中である。 車から降りては石畳を転ばぬようにそろそろ歩く。難儀である。 4番目は革堂から北上して左京区に入る。私はよく錯覚するのだが、京都の地図を下から見て、右手にあるのが「右京区」にあらず「左京区」なのだ。つまり、右手の東山に近いのが左京区だから、いつも間違いそうになる。何でこうなったの? 大分北上して着いたのが、山の中の松ケ崎大黒天である。 例の大黒様だ。左京区松ヶ崎東町。 山の中腹の細い坂道を転ばないようにそろそろ歩いて、さらに急な階段を手すり頼りにえっちらおっちら上った先の開けた奥に、やっと立派な大黒天があった。 松崎山妙円寺というのが名称で、五山送り火の「法」の山の中腹にある。道理で坂道を歩かされたわけである。車は下で待っていた。へとへとになった。大きな建物の前に、大黒様が鎮座ましましている。 つくづく私は思った。人生で何十回も来ている京都で、これまで何を見ていたのだろう。清水寺や八坂さんや金閣銀閣、北野天満宮など、毎度見飽きた場所ばかリ巡って、こんなお寺には初めて来たのだ。 2万軒とも言われる京都のお寺の、ほんの1部を繰り返してみただけ。 Gタクシーに頼んでよかった。細い裏道を通ってくれて、通人になった気分だ。 さて、5番目はもっと北の福禄寿・赤山禅院である。左京区修学院関根坊町。 表のお堂の前に、イラストの描かれたパネルが立っていて、「都七福神 福禄寿堂」と書いてあり、見ただけで目が回ってきた。 境内がめっちゃ広くて、奥の御朱印所に行くまでにぐるりと歩かなければならない。病身の私ではとても行けず、表で「あん」と拝んで勘弁してもらった。 いよいよ6番目の毘沙門天・東寺である。南区九条町。 先述したように体調が悪いので、宇治の7番目の万福寺は失礼した。 東寺は昨年の京都訪問でも訪れた、空海の巨大なお寺である。 「巨大伽藍に秘められた空海の意図」「東寺の謎」という三浦俊良さんのご本についてもかつて触れたのでここではパスする。 3時間で巡った京都の六(?)福神は、降りしきる雨の中でも素晴らしい経験だった。体調がよければもっと楽しかったのに、と残念である。(2022.6.11) (無断転載禁止)