最初に担ぎ込まれたA病院から、手術の腕の評価の高いB病院に転院して、ちょうど1カ月目に自宅に戻ってきた。 普通は手術をした病院から、リハビリ専門の次の病院に転院して、普通に歩けるようになるまで入院し、その後に自宅へ戻るのが普通のコースらしいが、私は直接自宅に帰れた。 患者の移動に尽力してくれる女性が病室に来て言われたのは、最初のA病院はリハビリが売りで、1カ月は待たねばならない。その間、筋肉が戻らない。従って再度の受け入れはお断りする、というものだったらしい。 ちょうど、その時に、私の主治医の先生が病室に来ていらして、大きな声で言われた。 「じゃあ、真っすぐに家に帰ろう、元気だしね、リハビリを此処で頑張る!」 その鶴の一声で、私は直接自宅に帰れることになったのである。 帰宅したのは、手術後25日目のことであった。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 1月某日、大腿骨骨折の手術1日前、私は素っ裸になってシャワーを浴びた。 もうこれ以上の気の利く人は見たことがないというくらい、明るくて、楽しくて、お喋りで、私のこれまでの人生で出会ったことがない程の陽気な男性看護師・Cさんと、ベテラン女性看護師が、私をシャワーに連れて行ってくれた。 骨が折れているので、ストレッチャー上に仰向きに寝たままである。 お湯が時々水みたいに冷たくなる。 要するに、手術時にバイキンが入るといけないので、全身を清潔にするのだ。 その割にはお湯の温度はマダラだし、私としては入院以来一度も洗ってもらえない全身をもっと石鹸で綺麗にしてもらいたいのに、2人はブツブツ「設備が古くなったからね」とシャワーの性能に文句を言いながら、何とか全身を洗ってくれた。 翌日はいよいよ大手術である。 私はこの手術を軽く考えていた。 どうせ全身麻酔だから、寝ている間に終わるのだろうと高をくくっていた。 とんでもなかった! 術後があんなに苦しいとは! 酸素マスクを6時間つけられて、抗生物質の点滴は4パックだった。 私は大学卒業直後の虫垂炎手術と、切迫流産とお産と、お尻のちょっとした手術以外、内臓などの高級な(?)手術は経験がなかった。 つまり、人間を長くやってきた割には健康だったのである。人生の晩年になって大手術を受けるとは夢にも思わなかった。 大腿骨のテッペンがポッキリ折れていて、そこに人工骨を入れて置き換えるのであるが、手術が成功したとしても、その後に、入れた人工骨のてっぺんが脱臼することもあるらしい。 ある人は、お正月にお客の接待ではしゃいで、3が日の真夜中に、レントゲン技師は呼ばれるわ、担当医はたたき起こされるわ。結局その患者さんは、再手術は免れて、映像を見ながら、「えいやっ」と大腿骨脱臼が戻ったのだそうだ。だから、私は寝る時もベッドから降りる時も、股の間にクッションを挟んで、両膝頭がくっつかないようにしなければならないのである。やれやれ。 シャワーについては、退院が決まった1週間前と、退院前日の2回、今度は車椅子に乗ってシャワー室に連れていってもらった。 例によって、あの大好きな男性看護師・Cさんの担当である。 車椅子から乗り換えるのは、お股が乗っかる部分が割れていて、椅子のままでジャージャーと頭からお湯をかけてもいいシャワー用の特別な車椅子である。 大好きなCさんがお喋りをしながら髪といわず脇の下といわず、背中と言わず、お腹と言わず。全身をくまなく洗ってくれる。 それどころか、椅子の下が割れているのは、彼の指が間からにゅつと出てきて、私の性器やお尻の穴まで丁寧に洗ってくれるためだったのである。 Cさんは手慣れたもので、なんか言いながら、私の割れ目ちゃんまで丁寧になぞった。 昔々、恋人たちにおずおずと触られた場所を、この歳になって、またなぞられるとは思わなかった。私もまだ女だった。 B病院は看護師やリハビリの理学療法士の方たちが、実に素晴らしい。 タメ口は使わないし、明るくにこやかだし、何を頼んでも決して嫌な顔をしない。 1つだけ私が参ったのは、食事の粗末さであった。 特別に頼めば、マシなものが出てきたらしいが、何しろ私が転院した時には、絶対安静のモーロ―とした状態だったので、食事のリクエストどころではなかった。 定番は切り干し大根。野菜はほとんどがブロッコリーかカリフラワー。 おひたしは絞ってないので水が溜まってびちゃびちゃで味ナシ。 終りの頃は食事時になるとムカッとして、100グラムのご飯とフルーツしか食べられなかった。私は体重が2キロ半減少した。 退院した時、自分でも全身が衰弱していると感じた。 身内が仕事で来られなかったので、またもや先述した介護タクシーに乗って帰宅したのである。今は何でも美味しく食べられる。 余り多くの人には知らせなかったのに、友人たちが次々に退院祝いを送ってくれる。 まだ、痛くてしゃがめないので、玄関にプレゼントが山積みになったままだ。 主治医の先生は、術後2週間目に私の7センチの傷跡の張りものを剥しに来て、「わあ、綺麗だ綺麗だ」と自分の執刀の出来具合に酔いしれていらした。まるで、名工が自分の作品を眺めるように。外科医とは、一種の技術の職人に似ている。 彼とは、私が元気になったらデートすることになっている。私は、つい、「先生、愛してる」と言ってしまったからだったが。(2023.2.28.) (無断転載禁止)