「知らない世界の男性たち、初めて出会った男くさい男たち」

 大怪我のお蔭で、この所、骨折入院の話ばかり書いているが、最後に男たちの話。
 私の大学時代、母校に女子学生は少なかった。少ないどころかほとんどいなかった。
 例えば、女が1番多い文学部や教育学部に進学するコースでも、私の教養学部時代のクラスでは女はたったの3人だけだった。
 つまり、周りは男だらけ。
 サークルに入っても男だらけ。
 私はクラシック音楽の同好会の1員であったから、男性会員は優しくて音楽好きで、洒脱な冗談好きの人が多かった。だから、彼らの出身高校は、私立の麻布学園や、公立の新宿高校、湘南高校など、秀才が集まる高校出身者が多く、よく言えば品がいい坊ちゃんタイプで、あまりオス的迫力のある男性は文系でも理系でもいなかったように感じた。
 そのまま、私の周辺の友人たちとは後期高齢者になっても友情をはぐくんできた。
 彼らは順調にエリートコースを歩み、名のある企業や団体のお偉いさんになってリタイアした。今は悠々自適族が多い。かつて大酒のみであった人は、それ相応にしっぺ返しを食らい、体調が悪かったり、すっかり飲めなくなったりしている。
 こういう種類の友人たちと長年付き合ってきた私が、今回の大怪我で入院して出会った人たちに1か月余り囲まれて、それこそ、人生がひっくり返るような新しい体験をしている話をしたい。
 つまり、私の人生で、かつて1度も付き合ったことのない男性たちがいる世界を体験したということである。ズバリ言うと、外科医の世界である。
 何度か書いたが、私は小さい頃から虚弱と言われていた割には、成人して以来、大病とは無縁で、循環器科で定期的に血液や尿の検査はしていただくが、病気治療というよりは病気の発見のために3カ月に1回通院していただけであるから、内科のお医者様としか付き合いはなかった。
 今回の入院で1番濃密にお世話になったのは整形外科主治医のS先生である。
 この大病院にいらっしゃるまでに、錚々たる複数の1流病院の整形外科で修業をしてきている。お医者様も勤務医である限りはサラリーマンだから、上の命令で転勤はさせられるし、なかなか厳しい職業である。
 S先生はまだ若い方であるが、大病院の有名チームの1員でいらっしゃるだけに、初対面の時から迫力があった。ニコリともせず私の病室にヌーッと入っていらして用件だけ言う。
 真冬なのに半袖のTシャツ1枚に靴下は履かず生足に靴。
 生足と白い手がとてもセクシーである。この白い手で人間を切るのだ。
 時々シャワーキャップを被ったままなので、「先生、これから手術ですか?」と伺うと、ボソリと「午後中手術」。
 私は相手がどんなにエライ方でも、歳の功ですぐ冗談を言ったり、相手をからかったりする癖がある。怪しからん不真面目さなのだが、友人たちがみんな男で、彼らに囲まれて生きてきたので、ついその習性が出てしまう。ましてや私の息子より若い先生である。
 ある時、私のベッドの横に立っている縮れっ毛のS先生が無性に可愛く思えたので、「先生、愛してる。チューして」と言ってしまった。勿論、口が滑った冗談なのだが、彼は何度も何度も私を振り返りながら、私の目を大きな眼で見つめドアの方に出て行きつつ、「ここじゃだめだ」と大真面目におっしゃったのである。(笑)
 生真面目な外科医をからかうなんて、実に怪しからん患者の私、こんなにストレートでマジな返事が返ってくるとは思わなかったので、すっかり彼が好きになってしまった。
 私が入院した当日に枕元に現れて、ご自分の受験体験まで聞かせてくれた方なので、最初から私に何かしらの共感を抱いていてくださったのかもしれない。
 今まで知っている私の男性コレクション(?!)には全く類型のないタイプ。
 お医者様なのでインテリで頭がいいのは当然だが、私の友人たちにはいない人種で、1言で言うと「男くさい、全身から男フェロモンが匂いたっている人」だ。
 そりゃそうだろう、整形外科医は人間の肉体のどこかを、メスでもって切ったり繋いだりする恐ろしい職業を志願した人である。血の匂いに平気な人だと私は思う。
 彼は素っ裸の私の下半身を見ているのに、素知らぬ顔をしている。
 手術から2週間たって、傷口に貼ってあったものを剥いだ瞬間に、「わあ、綺麗だ、綺麗だ」と笑顔でご自分の執刀結果に陶酔したように宣った(のたまった)方である。
 私の肉体は彼が焼いた壺か?
 まるで、外科医とは、自分の作品に陶酔する職人みたいだ。
 患者の病(やまい)を治そうとしてくれているのはわかるが、それよりも自分のメスの腕に、より関心があるのだろう。「カサブタが出来るから、僕は切ったところを縫わないし、ホッチキスも使わないんだ」と満足そうに私のお尻の傷を眺めている彼に、私は抱きしめられたくなった。男と女の感情に歳なんて関係がない。
 この人の作品なのだ、私のお尻に続く7センチの腰の傷は。
 退院して元気になったら、私は彼とデートして、私の綺麗なキズに、執刀した彼からキスしてもらいたいと思った。
 退院後、20日経った時、私の怪我をした方の脚が浮腫んで発熱し、私は心配で病院に電話を掛けた。すぐさまナースステーション経由で、S先生から菌が入っていたら大変だから明日の朝、受診に来い、と命令された。血液検査もレントゲン結果も、全く問題はなかった。
 「よかったよかった!」とS先生は大喜びしてくださった。キズ口ナルシスト変じて、彼はやっぱり、私の身体を心配してくださるお医者様だった。
 
 その後で、私はショックで打ちのめされた。
 彼はこの日をもって、この病院を去る。4月からは地方のX病院にご転勤だそうだ。私はしゃれた一言も言えず、ただ彼の目を見ただけで診察室を辞した。(2023.3.11.)。
                                              (無断転載禁止)