「1月からの連続ドラマ3本。月9と日曜劇場とリターンズ。いずれも第1回乃至第3回。前期が余りにも不作揃いだったので、今期に期待しているが・・・」

   

 月9は『君が心をくれたから』(フジテレビ)という題名だけでは予想がつかない内容である。サブタイトルには(過酷な奇跡に立ち向かうファンタジー恋愛ドラマ)とある。	
 逢原雨(永野芽郁)は子供の頃、母親の虐待でいつもオドオドと暮らしていたので、大人になってからも自分に自信が持てない。
 将来、パティシエになりたいと上京するが、上手くいかない。郷里の長崎に帰ったある日、高校時代に自分を理解してくれた先輩の朝野太陽(山田裕貴)と出会う。
 太陽と旧交を温めて喜んでいたところが、太陽は雨の目の前で事故に遭って瀕死の状態になる。太陽は父親が師匠である花火師になりたいと努力していたのだが、これも上手くいっていなかった。
 雨の前に不思議な人物が現れる。
 「太陽を助けたければ、お前の味覚など、五感が無くなってもいいか」と日下(斎藤工)というその男が尋ねる。雨は承知する。日下はあの世からの使いである。
 第1回はこれで終わり。
 恐らく、想像するに、五感を無くしたパティシエの卵は成功するはずがないのだ。それを<愛の力で乗り越える>のか?
 と予想しておくが、作り手に文句を言いたいことがある。
 劇伴が超無神経なのである。
 雨と太陽が美しい浜辺で向かい合って話している時に、煩い劇伴が鳴り続ける。それも、会話を妨げなくて支えるような音楽なら我慢も出来るが、通俗的で凡庸で品のない音楽が大きな音で煽り立てるので腹が立つったらありゃしない。黙れ!
 このスタッフたちは耳が悪すぎる。主人公2人が下手なので音楽で煽って盛り上げようとでも考えているとしたら大間違いである。
 月9進出を喜んでいる永野芽郁ちゃんが台無しである。
 劇伴とは煽るためにあるのではない。
 日本のテレビマンは実に耳が悪い。1月8日。

 日曜劇場『さよならマエストロ』(TBS)のサブタイトルは(家族も音楽も失った天才指揮者の父と娘の物語)とある。
 夏目俊平(西島秀俊)は元天才的な指揮者で、ドイツで大活躍をしていた。フランスにいる画家の妻・志帆(石田ゆり子)から、2人の子供の世話をしてくれと電話が入り、夏目は5年ぶりで帰国して下手くそな料理をすることになる。
 ところが、晴見市役所に勤める20歳の娘・響(芦田愛菜)は5年前のある事件で、父を許していなくていつも膨れっ面である。弟の高2生、海は父親のことをフランスかぶれで「ぺー」と呼ぶ。
 アマチュア・トランぺッターの森大輝(宮沢氷魚)は観光課勤務の青年だが、音楽好きのカフェ店主・小村(西田敏行)の孫。晴見市のアマチュア・オーケストラは客が入らず赤字続きで、ついに予算カットが市議会で決定される。
 大指揮者がいるのにと、市役所から指揮を依頼された夏目は断ってばかりいたが、ある日練習場でアドバイスを始めてしまう。
 彼が振ったベートーヴェンは満席とは言えなかったが、拍手喝采。響1人だけを除いて。
 前にも似たような筋書きで田中圭さんが他局のドラマで指揮者をやってたぞ。
まあいい。
 クラシック=貧乏、という図式は毎度のことであるが、西島秀俊さんの指揮ぶりは上手かった。プロの広上淳一さんが音楽監督をやっていらっしゃるので、恥ずかしい場面はなかった。ただ、1つ言えるのは、芦田愛菜ちゃんが何かわからないが、以前の確執があって、父の俊平にプンプン怒っていて、可愛くないことが残念である。
 響はどうやらバイオリニストだったらしい。
 筆者は筋書きだけ調べる趣味はないので、ドラマの先は知らない。
 西島さんは音楽の天才ではあるが、どこか天然っぽいキャラクターを良く演じている。
 これは毎回。必ず見るつもりである。1月14日。

 さて、お終いにリターンズ作品。
 『おっさんずラブーリターンズー』(テレビ朝日)だが、サブタイトルは(再結集! はるたん×牧×武蔵の5年後を描く)である。
 本作を見たのは3回目からである。夜遅いんだもの。
 この日、サッカーの国際試合があって、待っても待っても始まらない。11時15分からスタートの予約なのに、結局始まったのは『報道ステーション』が終わった後の11時45分からだった。ああ、眠い(笑)。
 はるたん事、春田創一(田中圭)と牧凌太(林遣都)の家庭に、リタイアした黒澤武蔵(吉田鋼太郎)が家事代行サービスのスタッフとしてきたから大変。
 武蔵は嫉妬まみれで物陰から男たちを覗き見る。
 可笑しい。
 武蔵は会社では上司だったが、部下のはるたんに恋しているのである。
 筆者は昔の単発ものの時から見ていて(何しろ、吉田鋼太郎さんが舞台人としてテレビに初登場した時から目を付けていた)、1人でゲタゲタ面白がっていたのだ。
 男同士の恋なんて、昭和時代だったら異端視されただろうが、人間同士、あり得るし、自然なことである。
 今回も目をこすりながら毎回見るつもりである。1月19日。
  (2024.1.20.)。
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