「モーリス・ユトリロ展を11月の終りまで知らなかったドジのお蔭で、会場がガラ空きでラッキーだった」

 わが家は朝日新聞を購読していないので、9月から始まっていた『モーリス・ユトリロ展』の開催を全く知らなかった。
 つい最近、ネットサーフィン中に「えっ、日本でユトリロ展、やってるの?」と吃驚仰天して、大急ぎで見に行くことにしたのだ。
 何年前だか忘れたが、『日仏交流150年記念 芸術都市パリの100年展』という展覧会に駆けつけて、ユトリロの絵で筆者が大好きな『コタン小路』の絵葉書を纏め買いした。
 だが、友人たちに出す便りにこの絵葉書を使いまくって、いよいよ最後の1枚になっている。
 東京文化会館の売店で売っているかしら。
 このところ、ズーっと体調が悪かったので、頭の回転も悪くなっている。
 そのために、またまたドジをやってしまった。
 まだ西新宿に淀橋浄水場という薄汚い施設があった頃からの東京人間なので、新宿なんか庭みたいなものだ、といつも自負している筆者は、「ああ、西新宿にあるのね、会場は」と高をくくって出かけたのだが。
 スマホで検索すると、会場になっているSOMPO美術館が、京王プラザホテルの西側に位置しているように見える。
 京王プラザホテルは以前メンバーにもなっていたくらいの馴染みホテルなので、早速行ってみたが、西側に美術館など影も形もない。
 SOMPO美術館の展覧会問い合わせ電話にかけてみたら、こりゃあかん。
 どこか地方の問い合わせ嬢に繋がっていて、
 「京王プラザホテルですか? 案内地図にホテルなんかないんですけど」だって。
 まるっきり、地方人らしく新宿のことなどご存知ないのである。
 これで案内嬢かい?
 「おかしいなあ」とホテルのレストラン『樹林』の前のケーキ売り場で尋ねてみると、親切な紳士がまたスマホで検索してくれた。
 「お客様、SOMPO美術館はこの近くではありませんね」と画面を見せてくれる。
 「えーっ、東京医科大学病院の前の大通りの、新宿駅寄り? ホテルの隣りなんて、でたらめだ!」と思わず叫んでしまったのである。
 ネットの案内のいい加減なこと。
 ホテルの中のエスカレーターで地上階まで登り、ホテル玄関の前から左へ進行、大通りの交差点まで行き、歩きに歩いてやっとSOMPOビルに辿り着く。
 ところがまだまだ。
 美術館はあっちというように、また歩道を歩いて左折、やっとのことでSOMPO美術館に辿り着いたのであった。
 既に日が傾いていたが、まだ3時台である。平日の午後なので、チケット売り場の行列も20人ぐらいである。ラッキー。
 1,800円支払って5階まで上がる。順次4階、3階と降りてくる順路である。
 何が驚いたといって、『カメラ だめ』の印がついている絵は撮影禁止であるが、それ以外は写してもいいのだ!
 最初の絵は『モンマニーの屋根』だ。以前も見た記憶がある。20世紀の初め頃に描かれて、今はポンピドゥセンターにあるそうだ。
 以後、絵の説明は省略する。どれもこれも素晴らしくて溜息が出る。
 解説には、よく知っているユトリロの病気のこと、アル中や精神疾患で入院したこと、奔放な母親、シュザンヌ・ヴァラドンの私生児で生まれたこと、後にスペインの批評家に認知されたこと、などが書かれてある。
 つくづく思うのだが、21世紀の現代にユトリロさんが生まれていたら、DNA鑑定で誰の子だったか明解にわかるのに、奔放な母・ヴァラドンには男がいっぱいいたそうだから、認知紳士(ごめん)の種だったかどうかわからなかったりして・・・。
 冗談ですよ。エリック・サティもお友達であった。
 30年ぐらい前から、筆者は毎年のようにパリに行っていた。
 モンマルトルの丘の上に建つサクレクール寺院に初めてお参りした時、カソリックの僧服をお召しになった神父様が、突然どこかから現れて、友人と筆者の前に近づいていらした。
 びっくりして立ち止まると、流暢な日本語(!)で「よくいらっしゃいました」だったか、話しかけてくださったのである。
 当時、パリに行く東洋人はほとんどが日本人だったので、司祭様も日本語が達者でいらしたのだろうが、筆者は驚いて大感激であった。
 サクレクール寺院の傍にカフェがいっぱいあって、小食の筆者は、ココットに入ったオニオンスープを注文したところが、それだけで満腹。
 親父が出てきて、「さあ、これから何を注文する?」と聞く。「お腹いっぱいだから、これで終わり」と言うと、親父さんに肩をすくめられた。兎に角あちらの方は大食で、郊外のカフェテラスで、トマト1個が乗っているお皿を取ったら、「NO」それは子供用だと断られた。大人用には5個乗っていた。 
 さて、大好きなユトリロ作品の『コタン小路』の実物を見に行った時のことだ。
 1910~1911年頃の制作であるから、100年以上前である。
 実物のコタン小路は、その時でもほとんどそっくりユトリロさんの絵の通りであった。
 パリジャンは名画のモデルを大切にしているのかもしれないが、突き当りの階段に人物はいるのだが、両脇の白い壁が醸し出す静謐さの凄いこと。
 今回の展示画の中では『雪のサン=リュスティック通り、モンマルトル』と『マルカデ通り』が好きだった。
 晩年のユトリロさんは有名人になっていて、制作中の髭のお姿も映像にばっちりと残っている。
 19世紀生まれの芸術家の方にしては長生きで、1955年に71歳で亡くなった(2025.11.30.)。
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