今年の5月初旬、例年通り有楽町の東京国際フォーラムで行われた音楽祭で、筆者は若い才能あふれるピアニストにサインしてもらった。
加藤皓介くんである。
小柄だが、澄んだ目をした可愛い青年である。フアンになりそう。
彼は昨年の日本音楽コンクールで、ピアノ部門に優勝した。
筆者は今年の3月に東京藝術劇場で行われた『受賞者発表演奏会』も聴いたので、いっぱしの追っかけオバサンに近い。
真っ直ぐに筆者の目を見て賛辞を聞いてくれた。
純粋にピアノ一筋に精進してきたのだろう、このまま壊れないで成長してもらいたい。
彼がコンクールで弾いた曲はリスト、この日の曲も『リストのピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調 S.124 R.455』であった。
音楽大学の特待生である。うえー。
まだ大学の1年生だ。孫みたいなものだ。
10代の終わりで、もう一生が決められた人生は、何となく可哀想な気もするが、今は希望に燃えて、なおかつ、前途洋洋である。目出度い。
さて、このコンクールに関しては、笑い話がある。
全く修飾なしの実話である。
クラシック音楽の大コンクールといえば、間違いなく、NHKや新聞社が主催する歴史の長い日本音楽コンクールのことである。
夫が新聞社の事業部にいたころ、このコンクール担当のトップになった。
ずいぶん昔の話である。
新聞社の上司の盲目ぶりには笑える。
何故なら、担当者のトップになった夫は、およそクラシック音楽には何の関心もない田舎者の典型だったからだ。
義父は音楽というだけで、「娯楽」としか考えない人で、彼の頭の中には「東大is best」のフレーズしかなかった。
東大などより、クラシック音楽のエリートの方が、よほど難しく、高尚であるとはサラサラ知らない人だった。
まあ、どうでもいいが。
コンクールに戻ろう。
ピアノ部門の審査員委員長は有名な安川加壽子先生であった。
相当お年を召していらして、ふくよかな唇でお話になる様を、けしからん筆者の一団は、「ぶるどっぐ」などと綽名をつけた。ごめん。笑。
パリ帰りの有名ピアニストでいらっしゃる安川先生他の審査員の名前を、筆者は全く知らなかった。
夫は筆者と結婚するまで音楽に関係のない家庭育ちで、自身も間違いなく真正オンチだったから、筆者は担当になって大丈夫だろうかと心配だった。
ところが、天の配剤。
今から何十年も前の話なので、コンクールの採点は、みんな手書きの点数を必死で算盤や電卓で集計するのだった。おろおろ、よたよた、の手計算であるから大騒ぎだ。
時間に追われて計算するし、審査員にはお歳を召したおばあ様もいらっしゃる。
スムーズにいかないこと夥しい。
そこに、担当になった機械類にはめっぽう強い夫の登場である。
彼は当時まだ日本では普及していなかったパソコンを持ち込んだのである。
そういえば彼は、秋葉原によく行っていた。
一般の日本人は、「パソコンで何するの?」てな時代だった。
出演者たちの演奏後、パソコンで集計する際である。
夫がパッパッとPCに数字を打ち込んで、「はい、出来ました」と審査員たちに提示すると、安川先生はびっくり!
「すごーい」と驚かれた。しかも、正確であった。
あまり自分の自慢話はせず、家では無口な夫が、珍し くこのくだりは自慢たらたらだった。
以後、何年間も彼はコンクールと付き合ったのである。
近年、世界の大コンクールに日本人が沢山入賞する。目出度いが。
トップクラスの入賞を果たしても、演奏家で華々しく活躍している人は余り多くない。
足を悪くしたブーニンさんのように、マイナスイメージのテレビ番組に取り上げられる人もいる。気の毒である。
かと思うと、サントリーホール40周年記念演奏会に、ソリストとしてリッカルド・ムーティさんと協演する内田光子さんのような、物凄い大活躍演奏家もいる。目が回る!
この40周年演奏会に、筆者も誘われたが、行かない。
1度書いた通り、「48,000円払って、正装で来い」と言われてもね。
着てゆく洋服がありません。笑。
何となく、指をくわえてヨーロッパのモノマネをしているみたいに感じるのである。
演奏曲目に、筆者が最も好きな『モーツアルト作曲、交響曲 第40番 ト短調 K550番』が入っているので、行きたいが、我慢の子。
内田光子さんは帝国ホテルの、宝塚側のレストランでお見掛けしたことがある。
ははあ、畏れ多い。
40周年の立派な演奏を期待している。
但し、筆者はテレビでね。
コンクールよもやま話のお粗末でした。(2026年7月11日)。
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