先週の午後、14時50分、松本発のJR東日本の中央線上り列車、『あずさ38号』新宿行きに乗った。3日間、安曇野市にある別荘に行っていたのである。 乗った直後からイヤーな予感がしていた。 発車前から車内マイクががなり立てているのだ。 まず、男性の声の録音版、『何発、何行き』はいいとして、『指定券を持っていない客は、座席の上のランプが緑や黄色の席は予約でふさがっているので、赤いランプの所に座れ』だの、『黄色の所は、次の駅から指定券を持っている客が来るから、赤い所に移動してくれ』だの、グダグダと大声で喋る。 長々と喋った後で、今度は女の声で、『レディーズ アンド ジェントルメン』と始まって、列車の案内など、英語でグダグダと同じことを繰り返す。 これで終わらないのである。 次は『あずさ38号』に乗っている車掌が、またまた案内を繰り返す。 そればかりか「国土交通省からのお達し(?)で、新型コロナウイルスのために、マスクの着用と、お客様同士の会話は極力お控えください・・・」と要望する。 勿論、こちらとしてもそんなことわかっているのだが、私が乗っていた車両には、客がマバラで、1番多い区間でも10組ぐらい。8月に行った時には、私の車両には他に誰も乗っていなかったから、多少は増えている。みんなシーンとして寛いでいる。 客は静かにしていて誰も大声で喋ったりはしていない。 このスピーカー案内音声の3点セットが松本発の後、何度も何度も繰り返されたのである。うるさいったらない!!! 音量が適当ならば我慢するが、ものすごく大きな声で、私の席の真上から降ってくる。 松本発の直後だけならまだしも、特急の割によく止まる駅ごとに繰り返す。 客に「大声で喋るな」と注文しておいて、自分たちのスピーカーは大音量でもいいのか。 ついに私は頭痛がしてきた。 私が指定されていた車両は8号車だったので、列車の先頭にも最後尾にも行くのは遠い。音量を下げてほしいと頼みに行きたくても、行けない。 その内、白髪頭の女性が押したワゴン売りが来たので、「音が大きいので少し下げてくれるように車掌さんに頼んでください」とお願いした。 彼女が去った後で、若い車掌さんが横を通った。 「すいません」と私。 「カクカクしかじか」と説明してから、「ちょっと音が大きすぎて、これでは拷問ですよ。客は列車内でつかの間、忙しい日常から解放されて静かに休みたいんですよ」と言ったら、車掌さんは「耳の遠い人のために大きくしているので・・・」と、ほとんど確信犯なのである。「本当は適音量がいいのですが・・・」と本人も認めているのだ。 でも、それはおかしくはないか。 たった1人か2人の耳の遠い人のために、大多数の人が大音量に苦痛を感じている。それでも我慢しろというのか。補聴器を使うなりして、聴こえづらい本人が対応するべきである。福祉のはき違えである。 この大音量で新宿までの2時間半も我慢するのはかなわない。 私はスマホ用のイヤホンを耳に刺してみたが、がんがんと煩い音量のままで全然変わらない。 私は昔のことを思い出した。作家の永井路子さんが、日経新聞だったかのコラムにJR(当時は国鉄?)について文句をお書きになった。車内の案内で、名古屋のことを英語で「ニャゴーヤ」というのはおかしい。ここは日本なので、英語でも「ナゴヤ」と言うべきだと。 全くだ。ところが、近頃のJRでは、英語のアナウンスでも「トーキョー」と言えばいいものを「トゥキョ」と放送する。郷に入っては郷に従えである。外国かぶれのバカ丸出し。 さて、『あずさ38号』の騒音公害についてはどうなったか。 私はうんと褒めてあげたい。 暫くして、社内の大音量が少し下がったのである。それこそ車掌さんが言ったように「適音量」に変更してくれたのである。ありがとう、ありがとう。言ってみるものだ。 これで物静かに休みながら新宿まで帰れる! 日本は音に関しては無神経すぎる。 路線バスでもうるさく案内しまくる。 「社内事故防止のために、バスが止まって扉が開いてからお立ち下さい」などと、バスストップごとに何度も何度も繰り返す。子供じゃあるまいし、転ばないようにするのは自己責任だろう。つまり、社内事故が起きた場合の責任転嫁で煩く注意しているのではないかと勘繰りたくなるほどだ。 余計なお世話アナウンスを止めてほしい。 かつて、もう亡くなられたが、世界的な大ピアニストのアレクシス・ワイセンベルクさんが演奏旅行で日本にいらした時、帝国ホテルの大きな部屋で、フアンとの会合がもたれた。 私も出席していたが、ほんの微かな音のBGMが鳴っていた。 すると、ワイセンベルクさんは、「あれを消しましょう」と言って、部屋のBGMを止めさせたのである。 日本人はBGMをサービスだと勘違いしている。 静寂こそ大事なのである。 大ピアニストにとって、演奏中の他は、「しん」とした静寂の中で寛がれたいのであろう。 そういえば、ヨーロッパを旅行すると、乗り物の中のアナウンスは最低限である。パリのメトロでも、次の駅名を一言、「マドレーヌ」と言うだけである。扉が開いてから立てなんて死んでも言わない。余計なお世話である。 何とかしてほしい、ニッポンの音に無神経なところ。(2020.9.30) (無断転載禁止)