「誤診2回、危うくガン患者にされるところだった話」

 10年以上前、尾籠な話で恥ずかしいが、お尻のほっぺのちょっと上に小さいオデキが出来た。ほっといたら次第に痛痒くなってきたので、30分もバスで行くA皮膚科に行った。
 その頃は自宅の近くに皮膚科クリニックはなく、中規模の病院はあったが、巷のうわさでは、「あそこにかかるとあの世行き(笑)」といわれるミッション系の古びた病院で、私は「敬して遠ざけて」いた。
 事実、ある有名な評論家と名刺を交換した時、私の住所を見た彼女は、「あら、〇〇?
お近くに△△病院てあるでしょ。うちの主人はあそこで亡くなったのよ」と言われた。
 つまり、中規模のこの△△病院は評判通り「入院したら亡くなる」病院だったのである。
 その後、△△病院は潰れた。
 5年ぐらい前に、地方の医療関係の大財閥がそのあたりを買収して、物凄く大きな新しい□□病院を建てた。今や、ピカピカの威容を誇る大病院である。
 10年前はこの□□病院もまだなかったので、30分かけてA皮膚科に行ったのである。
 ネット検索では久留米大学ご出身のA先生は、豪快な中年太りの男先生で、私のオデキを一目見て、ちょちょっと消毒しただけ、「ほっときゃいい」と薬も頂けなかったのだ。
 ところが、次第にオデキは大きくなり、ジュクジュクと痒いし、何かが染み出てくるし、「これじゃ、恥ずかしくて温泉へも行けないわ」と悩んだ。
 それでも私は従順にA先生のお言葉に従ってオデキをほっといた。
 1か月ぐらい経ってから、どうにも具合が悪いので、また、A皮膚科に行った。すでに点だったオデキは直径2センチぐらいの大きさに拡大していて、中心部分が茶褐色の潰瘍みたいになっていた。
 A先生は、私の患部を見るなり、「ごめんなさい、ごめんなさい」と顔を真っ赤にして謝った。次いで、慌てふためいて看護師に手伝わせ、薬やら滅菌ガーゼやらをつけてくれた。私は内心「プンプン」で、何で最初に来た時に治療してくれなかったのかと腹が立った。
 それから小10年、そのオデキは完治もせず、時々疼いて不快感があった。
 今年になって、再び、オデキは負の存在感を増した。痛痒いのである。つまり、治っていない。最初の手当てが悪かったに尽きる。何が「ほっときゃいい」だ!
 それで、私は近くに出来た新しい□□病院の皮膚科を受診したのである。評論家のご主人が亡くなられた△△病院の後に出来た大病院である。
 皮膚科の担当医はN大医学部ご出身のB先生である。まだ若い女医さんだ。
 地方出身の人らしく、ブスっとしていて社交性がないタイプ。でも、そんなことは医療技術とは関係がないので、私は安心して過去のA皮膚科との顛末も説明した。
私のオデキを難しい顔で見ていた彼女は、「紹介状を書きますから、明日、N大に行ってください」と言う。「えっ?」と私。治療も何もしないで、「大病院に行け」だと?
「もしかしたら、これは皮膚ガンかもしれません」。ナニーッ?
頭をガツーンと叩かれた感じだった。
「N病院でなくてT医科大学病院にしていただけませんか。循環器科にかかって以来、何十年もあそこにカルテがありますから」と私は頼んだ。その間中、「ガン、癌、皮膚ガン」と頭の中にグルグル言葉が回った。おかしいなあ、わが家はガン家系ではなく、父は103歳で大往生したし、母もガンとは無縁だったのに。
 翌日の土曜日、私はB女医先生の紹介状をもってT医科大学病院の皮膚科を受診した。先端医療の巨大病院であるT医科大は、ガンと聞いてもヘッチャラかと思ったらそうでもなかった。つまり、最初に診察してくれた若いM先生も横についている看護師も、何となく上から目線なのだ。憐れんでいるというか、命に係わる病になった高齢者を見下げるというか、テンから「ガン患者扱い」である。□□病院の紹介状に書いてあるらしい。
 先入観があるのだろう、皮膚ガンの。
 私が、「ガン家系じゃないですから」と言うと、M先生は強く遮って、「そんな問題じゃない」と強く否定し、ものすごくバカにしたように断定した。チッ。
 翌週の水曜日にM先生とは別人の執刀でオデキの細胞を取る小手術をされた。若いハンサムな執刀医は、診断したM先生とは大違いで、ニコニコしてやってきて、「強く縫っておきますからね」と患部に施術しながら、「血液検査はナーンにもなし、でしたよ」と言う。
 血液の分析表を見せながら、「何にもナシです」だって。だが、「1カ月間、小手術で取ったオデキの部分を培養に回すので、結論は来月です、抜糸は来週にやります」とのこと。
私は一抹の不安はあったが、ざまあみろと思った。私が皮膚ガンなんかになるわけない。
自分の身体については自分が1番よくわかる。
□□病院のB女医さんもT医科大学病院のM先生も「ボーエン病」という皮膚癌と診断しかかったが、はっきり言ってこれは大誤診であるに違いない。
 まあ、培養結果を1か月、待とう。
 その翌週に抜糸をした。また別の医師だった。大病院はめまぐるしく担当医が代わる。患者はまるでモルモットだ。
 とにかく、抜糸後は普通に患部もシャワーで良く洗った。
 それから、延々1か月待った。
 暑い夏の日に、腫瘍担当の女医さんの診察を受けた。
 私はてっきり、培養結果を宣言する役なので、怖いオバサン先生の腫瘍担当医師かと思ったら、まだまだ「お嬢ちゃん」と言いたいような若い女医さんで、こう切り出した。
「培養結果は良性のものでした。脂漏性角化症というものですね」と。
 予想通りガンではなかった。
 2人の医者の誤診であった。
 危うくガン患者にされそうになった、暑いコロナ禍の夏がやっと終わった。
 紹介状を書いた□□病院のB女医は私に言ったもんだ。「ガンでなくてよかったじゃない」だって。クソッ。「貴女の誤診がソモソモ始まりだったんじゃないの!」(2020.9.22)
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