超人的な白内障手術に感謝する

 数年前、世の中の景色が全部グレーがかってきて、「あ、これは多分、白内障だナ」と気が付いたので、パソコンで検索してC病院の眼科を受診した。
 その時、C病院と同時に警察病院の眼科もよさそうだったので、どちらにするか迷った挙句、C病院で白内障手術を受けることに決めた。病院の名前でも警察と名が付くものは何となくおっかないので、敬遠したせいでもある。
 入院は4日間で、最初に片方の目を手術し、眼帯をかけて一晩休み、中1日おいてまた片方の手術をした。麻酔は麻酔液と注射の併用で、眼球の横に注射されるのはいい気持ちがしなかった。執刀医は優れた技術の先生で、私は退院時に、真っ青な空を見て、人生観が変わったぐらい感激したのである。それまでの日常は世の中が全部白っぽかったから。
 先生は1.5mぐらいの室内のものはみんな裸眼で見えるようにしました、とおっしゃったが、遠くの方もほとんど眼鏡なしで見えるようになったのである。私はド近眼だった。
 数年経って。
 今度は夫の白内障が進行した。
 本人は手術が怖いらしく、「見える見える、何ともない」と主張するのだが、どうも白濁が進んでいるらしい。ある時、安曇野の別荘に行って、見通しのいい幹線道路を走っていた時のことだ。
 「あの信号、赤か緑か、どっち?」と夫が切羽詰まった声で聞く。
 「なにィ?」冗談じゃない! 信号の色が見えないなんてとんでもない!
 私は総毛だって、こりゃ重症だと思った。
 帰京してからすぐ、かつてのC病院の眼科に電話して、カクカクしかじか、お世話になった者ですと言うと、受付の看護師さんが遮った。
 「今、コロナで、うちは外来を全部閉鎖しています」だと。だァ。
 そういえば思い出した。C病院もクラスターと言わぬまでも、複数のコロナ患者が出たというニュースを聞いた。ヤバい病院だったのだ。
 仕方なく、世界的に有名な白内障執刀医であるN先生に、ダメもとで伺ってみようと、ネットで調べてメールを出してみたのである。私は有名先生志向は全くなく、かえって高ビーで嫌だろうと思っていた。コネもないし、そのためにツテをたどるのも嫌。仕事が忙しくてそれどころか、暇がない。Nクリニックはなんと日帰りで両眼手術をするらしい。
 Nクリニックのwebページには「何の誰べぇ」とこちらの情報を書くところがあり、質問も書けた。するとすかさず事務長さんからお返事が来たのである。
 かかりつけのお医者様の紹介状をお取りになれば、電話で予約ができますと書かれてあった。うえっ、早い、さすがだ。すかさず、夫が時々眼底検査に行く眼科医に紹介状を書いていただき、電話すると、指定の日にちを知らせてくれた。
 それからがてんやわんや。
 まず、検査に行って長時間調べられた。最後に女性の先生のご診察があり、私も同席せよとのご命令である。夫の目は白内障が進んでいて重症なので、本来なら8月に入ってからの手術だが、7月25日に特別に入れていただけるとのこと。この時点で、私が迂闊だったのは、私の経験から、同じ日の患者は精精4、5人かと思っていたが、とんでもなかった。
 女先生は顔をしかめて、進んでいるので、当日手術を断られる可能性もあるようなお話なのだ。世界的なN先生が手術するとおっしゃらなければパー。困る!
 手術日より1週間前の18日から、日に4回、2種類の目薬入れ。夫は超のつく不器用で、睫毛にも上瞼にもつけずに目薬を点眼することなんか100%出来ない。私が看護師役だ。
 日に4回の目薬入れって簡単ではないのである。仕事で忙しいのですぐ時間を忘れる。
 18日から1週間毎日目薬を差して、いよいよ当日が来た。土砂降りの中、朝8時30分までに着かねばならない。みやびな都心のビルにあるNクリニック、受付で診察券と一緒に前もって渡されていた手術同意書を提出する。何が驚いたといって、患者の数。早朝の予約の人だけで10人以上はいる。流れ作業みたいだ。その人たちがみんな看護師さんたちに5分おきぐらいに様々な点眼をされている。瞳孔を開く薬、麻酔薬エトセトラ。
 同意書と同じ時に渡されていた『眼球断面図』という図解とその下の説明が恐ろしい。夫は『白色成熟白内障』『核白内障』「脆弱チン小帯』『フロッピーアイリス』『加齢黄斑変性症』『糖尿病網膜症』と6個所もにレ点がつけられていて、こりゃ手術許可が下りるか懸念がある。ビクビクものである。
 いよいよ手術の直前になって、執刀してくださるN先生のご診察である。夫の4人前に並んでいて、診察室に呼ばれた若い男性が、10分経っても20分経っても出てこない。ようやく出てきたと思ったら、あら、荷物をまとめて帰ってしまった。年寄りの病気かと認識していたが、ずいぶん若い。しかも、彼に対するN先生のご許可が出なかったのか、あるいは日程が先送りされたのか。私はいよいよ不安になる。重症だから断られるか?
 中、3人おいて私たちが呼ばれた。お写真では壮年のお顔のN先生が御髪は白い。検査機の前でニコニコしてとても優しい。女の先生が顔をしかめて難しい重症だとおっしゃっていたので、私は緊張したが、N先生はケロリ。「ちょっと印をつけますからね」と言ってまたニコニコ。難しそうな素振は全くない。ホッと胸をなでおろす。何10分もかかった男性患者と大違いで、夫の診察は5分もかからなかったのだ。おお、神様有難うございます。
 ところが喜ぶのは早かった。10時50分に手術室に入ってから、夫は1時間40分も出てこなかったのである。案内では両眼でも30分ぐらいで終わる筈だから、異常があったのかと胸がドキドキしてくる。実は準備室で体への点滴に長い時間がかかったのであった。
 手術日より1週間、顔も髪も全く洗えず、目にはゴーグルみたいな眼鏡を24時間かけっぱなしで、点眼薬は日に6回、3薬に増え、しかもクスリと薬の間を5分ほど空けねばならない。私、夫のケアーで殺されそうです。それでも、31日のご診察で目玉の傷口(!)を縫った(!?)糸の抜糸をしていただき、1連の白内障手術は成功裏に終わった。8月1日からは顔も髪も洗えますとのご許可が出たのである。感謝!感謝!(2020.7.31)
                                   (無断転載禁止)