「鬼の攪乱(笑)、13日の金曜日に、大腿骨骨折!」

 事実、13日の金曜日の、西洋では忌み嫌われる魔の日に、事もあろうに私の星座が最悪のオマケまでついているのに、出かけて、大腿骨を骨折し、病院に運び込まれた。
 この日、私は週刊文春のCinema Chart 欄に、5人の批評家の内、3人が5点満点をつけている『モリコーネ 映画が愛した音楽家』というドキュメンタリー映画を見るために、ネットでチケットを取り、意気揚々と新宿へ出かけたのである。
 本来ならば『モリコーネ』の感想を今回、書く予定だったのだが、家にも帰れず、そのまま「Go to ザ・病院」になってしまった。
 TOHOシネマズ新宿という歌舞伎町の中の映画館には、わが家から近いこともあってよく行く。大昔、私はこの辺りでよく野郎どもと夜な夜な徹夜で遊んでいたので、馴染みがある。深夜喫茶全盛の頃である。ダンスホールやタンゴ喫茶もあった。
 『モリコーネ』を鑑賞し終わって、廊下に出て、お手洗いも済ませて、さて、出口はどちらだっけ、と振り向いた途端、「ズドーン」と右の腰から床に墜落した。
 廊下の敷物のどこかに、靴のかかとが引っかかったのかもしれない。
 客はほとんどいなかったので、倒れる時につかまる物がなかった。
 お尻の右の床へのぶつかり方が異様で、「ヤバいっ」と思ったら、やっぱり、もう、右脚では立てなくなっていたのである。初めての感覚だった。
 笑っちゃうのは、倒れて立てない私を、どなたか男性が助け起こしてくださったもうその時に、彼方から別の男性が、車椅子を押してくるのが見えた。
 妙に手際が良すぎるなあ、と思った。ここで転倒する人が多いのかもと感じた。
 廊下には敷物が敷いてあり、それが古くて毛羽立っていたのかもしれない。
 やっと車椅子に乗って、エレベーターで下に降りると、ここでも待ち構えていたようにタクシーが待っていた。
 すごく親切な運転手さんで、救急車を呼びましょうか、どうしましょうかと聞いてくれる。作家の志茂田景樹さんの息子さんと友達だそうだ。
 私は痛くてそれどころじゃない。後から考えると、同じ新宿の東京医科大学病院の有名教授の循環器科の患者を長くやっていたのだから、「東京医科大」と頼めばよかったのに、私はコロナで断られまくる辛そうな病人の映像が頭に浮かび、咄嗟に近所のA総合病院に運んでくれと頼んでしまった。
 担当教授はご定年で数年前に外来に出てこられなくなっていたので、近所のA総合病院に先生を紹介していただいていたのだが、整形外科については昨年もちょっと行き来があった。しかし、緊急の骨折で、とんでもなく遠くの病院に運ばれるのが嫌だった。
 然り而して、大腿骨骨折には執刀医が沢山はいらっしゃらない近くの病院に入ったのだ。
 それから後は日々闘争である。
 つまり、大腿骨骨折の手術をする先生が揃っていないらしい病院。これはヤバいなんてものじゃない。後の人生、杖をついたババぁだけはなりたくない。私は元々脚自慢で、歩くのも早い。昔々、作家の野坂昭如さんに「脚が綺麗」と言われたこともある。
 最近は変わった制度が出来ていて、PC上で、患者のやり取りをするらしい。連絡室とか言ったと思う。各病院にいる地域医療の連絡室にはソーシャルワーカーがいて、病院同士で患者のやりとりをするのだ。
 私が掛かっていた東京医科大にはA総合病院の連絡室の力が及ばなくて、とんでもない遠くのB総合病院から、「受け入れる」と返事があった。宅急便のやりとりみたい(笑)。
 私は生まれてこの方、一度も骨折をしたことがないし、入院も、盲腸の手術、切迫流産、子供のお産、お尻の余計物の除去、だけ。内臓の高級な病気には罹ったことがなくて、入院もなし。
 上海に行く時に、モノレールの中で中国人に押されて転倒し、右肩を脱臼した時さえ、労災病院に1泊しただけだ。だから、骨折で手術なんか、とんでもない大事件だ。参った!!
 すったもんだの末に、ようやく家族の人脈のお蔭で、今入院している大病院(整形外科では特に有名)に転院できたのである。
 A総合病院から託された診断書やCT映像やレントゲン結果の数々を提出したにもかかわらず、またまた、ここでも検査検査のモルモット。私、放射能でガンにならない?
 手術はすぐにはやってもらえない。待つのが苦痛である。骨折したところがヘンにならないのかと心配である。じっと我慢の子。
 安静にしなければならないので、何が辛いといって、トイレに行けないこと。尾籠な話で恐縮だが、お小水は管を入れられていて、垂れ流し。
 もっと辛いのは、右半身が強烈に痛いのに、ベッドの上で硬い、お通じ用の差し込みプラスチック便器に跨ってしろ、だって。
 1日1回、バイキン撃退のために、股間を洗浄する。男性の看護師がやってくれる。かつて何人かいた恋人と、結婚してからの夫以外の人に「あそこ」を触られるのは初体験である。それはそれで気持ちがいい(笑)。
 突然の鬼の攪乱で、友人たちが「貴女が入院なんてびっくりだ」とメールが回るわ、見舞い電話がかかってくるわ、「手術がまだって、大丈夫?」と心配してくれるわ。
 辛いことばかりであるが、1つ面白いことがあった。
 A総合病院から介護タクシーで転院する時に、運んでくれた運転手さんが名刺をくれた。
 なんと、『岩城宏之』さん!
 あの、日本を代表する大指揮者だった岩城宏之さんと、同姓・同名・同文字だったのだ。
 お母様が音楽好きで長男、次男は夫の反対で付けられなかったが、末っ子の3男にきて、やっと『宏之』さんとつけたのだそうだ。
 私はついていると思った。昔、岩城さんとはまんざら知らない中でなく、大学の先輩と共通の知人であったから。手術については、後述するつもりである。
 成功するように応援してください、皆様。(2023.1.21.)。

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