著者は吉原真理さんである。 彼女は昭和43年のニューヨーク生まれ。ハワイ大学のアメリカ研究学部教授でアメリカ文化史の専門家である。これまで沢山の著作をお書きになっているが、私は全くこの方を存じ上げなかった。 東京大学教養学部卒と著者紹介に書かれているので、彼女は大秀才である。 何故なら、東大では、2年間の教養課程を駒場のキャンパスで過ごした後、専門課程は本郷に移動して、学部・学科に分かれるのだが、教養学部という専門課程に進学する学生は、そのまま、駒場のキャンパスに残るのだ。 語学や一般教養を勉強する教養課程とは別の、教養学部という専門課程があって、その学部は駒場にあるので、教養学部に進学した学生は4年間、駒場に居っぱなしなのである。 今はよく知らないが、少なくとも私が在学していた当時はそうだった。 「本郷に行かずに、駒場に4年間居っぱなしなんて、嫌よねえ」と思った。 しかし、実はこの教養学部は進学時の最低点が高く、語学も出来ないと進めない学部なので、秀才が集まる。吉原さんはそのお1人だったわけだ。 彼女はニューヨーク生まれとあるから、恐らくネイティブ英語が話せて、米語が母国語と同じぐらい達人なのであろう。私は裸足で逃げだす(笑)。 この吉原さんが、ご自分の専門の研究のためにワシントンの議会図書館に通っていた時、レナード・バーンスタインに関する膨大なコレクションを見つけ、それに興味を惹かれたのが総ての始まりだった。 世界中から寄せられた、この指揮者にして作曲家・バーンスタインへの夥しいフアンレターも入っており、その中に2人の日本人からの手紙もあった。 1人は天野和子(旧姓は上野)という主婦である。彼女は戦前パリに住んでいたピアノ学生で、パリ国立高等音楽院に在籍していた。 第2次世界大戦が勃発してから、アメリカ経由で太平洋を渡り帰国している。 戦後、バーンスタインが書いたエッセイに感銘を受けて、ファンレターを出したら、1年以上経ってから返事が来た。まだ、駆け出しだった指揮者はファンレターが嬉しかったのだ。 それ以来、和子さんは手紙を書きに書く。 1961年(昭和36年)、バーンスタインは42歳で、ニューヨーク・フィルの初めての来日公演に指揮者として同行した。その時に、バーンスタインにタングルウッドで認められた小澤征爾さんが、副指揮者として一緒に来日した。彼はわずか25歳だった。 私はこの時、仏文科先輩のマネジャーの子分みたいな手伝いをしていて、ホテルの小澤さんから譜面を渡していただくように命令されて、赤坂のホテルに行った。 前後のことは忘れてしまったが、小澤さんはまだ若く野心に満ちた青年で、私をホテルのレストランに誘って下さった。 「ここのシャーベットは美味しいですよ」と言って、奢ってくれたのである。 偉ぶらない小澤さんに、私は気持ちよくお使いを済ませた。後にも先にも小澤征爾さんと個人的にお会いしたのは、これっきりである。 主婦の天野和子さんと巨匠の文通は以後も長く続いた。 和子さんの手描きの手紙は、葛飾北斎の『富嶽三十六景』からとった、有名な富士山の絵や、最もよく使われる浪の絵が下半分に描かれている美しいものであった。 私も大好きな『富嶽三十六景 神奈川沖 浪裏』である。私のデスクの前に、展覧会で買ってきた大きなコピー画もある。 1979年にまた来日したバーンスタインは、和子さんの夫の礼二さんが、膵臓癌に罹っていると聞くと、和子さんを抱きしめて号泣した。ホテル・オークラのロビーでだった。 巨匠の妻も癌で逝ったばかりだったという。 さて、もう1人の日本人は若い男性の橋本邦彦さんである。 1979年(昭和54年)に初めてバーンスタインと出会ってから、2人は激しい恋に落ちた。巨匠には妻子もいたが、本来は同性愛者であった両刀使いである。 知り合ってすぐから、橋本さんはヨーロッパの巨匠のツアー先まで呼ばれていて、2人にとって夢のように濃密な愛の夜を過ごしてもいる。 橋本さんは普通のサラリーマンだったようで、勿論、バーンスタインの音楽の大フアンではあったが、それよりも熱烈な愛の対象として彼にラブレターを送り続けた。 本の後半では、橋本さんがバーンスタインの音楽活動のスタッフとして、様々な活動に関わっているが、私にはもう1つ、2人の濃密さの実像が掴みにくい。 男同士の愛の強烈さを、女の私が如何に興味津津とはいえ、理解するには壁がある。2人が「恋に落ちた」瞬間についても、この中の手紙だけでは理解しにくいのが残念である。 ところどころに、著者の吉原さんと2人のスナップ写真が載せられている。 天野和子さんと筆者の写真は、旧知の仲のいい小母様と活発な中年女性という感じであり、吉原さんが本を書くにあたって、相当神経細やかに天野さんと仲良くなったかを感じさせる。 また、橋本さんとも親しそうに関係者の自宅で3人が映っている。 私がこの本を読んでイメージしていた橋本さんとは、まるで異なるお写真で、ごく普通の中年の男性に見える。とても、あの激しく情熱的なラブレターの主には見えない。何が巨匠の琴線に触れたのか不思議である。 もう1つ付け加えれば、著者の吉原さんが、典型的なアメリカ生活が長い日本女性に見えることだ。WBCで登場したラーズ・ヌートバー選手のお母様そっくりの、色浅黒く日焼けしていて、元気印でニコニコ笑っている東洋人というイメージである。 アメリカ生活が長くなると、日本女性はこのようなタイプになってしまうのだろうか。 原文は英語で書き、後に著者が日本語に直したという当作は、とにかく日本語が完璧に流暢に書かれていて、1点の引っかかりもない見事なものであった。(2023.4.11)。 (無断転載禁止)