「紙媒体が押しなべて淘汰される昨今、『ステラ』よ、お前もか」

  何年もNHK―日本放送協会の一般財団法人NHKサービスセンターから送っていただいていた、NHKウイークリー『ステラ』から、休刊のお知らせが来た。
  「NHKウイークリー『ステラ』は、2022年3月30日発売の4月8日号を最終発行号として休刊いたします」と書かれたA4版の挨拶状が添えられている。
  来た!
  『ステラ』よ、お主までもか!
  新聞は部数が長期低落傾向、雑誌類はABC考査を見るのが気の毒なくらいの部数減、巷の若者たちはみーんなスマホ片手で電車に乗っていて、車内で新聞や文庫本などの紙媒体のものを見ている人は皆無である。紙媒体族はすっかり絶滅危惧種になってしまった。
  昔の電車の中には、スポーツ紙を広げて、プロ野球の前日の結果を読んでいる親父族が多くいたものだが、今はなしだ。スマホで勝ち負けとセ・パ両リーグの「順位と勝ち負け差数」を確認するのがせいぜい、瞬間で終わってしまうのだ。
  スマホといえども活字を読んでいるんじゃないか、という人がいるが、デジタル画面の文字を読むのは、お金を出して自分で買って読む新聞や雑誌とは明らかに違う。
  私はプロ野球マニアなので、彼ら同様スマホで「順位や勝ち負け数」を確認はするけれど、阪神タイガースが勝った翌日には、必ず、デイリースポーツ紙をコンビニに買いに行く。
  以前はデイリースポーツを取っていたが、夫が勤めていた大手新聞は今でも購読しているので、ポストが満杯になるから、近頃では散歩がてら勝った翌日だけ買いに行くのである。
  ほとんど試合を見ているので、翌日の新聞を買っても、すでに見知った選手のコメントや監督の言葉は内容を知っている。それでも買いに行くのが正にフアン心理である。
  一説によれば、スポーツ紙には決まってお色気ページがあるので、そこを読むのが目的だったりして(笑!?)。
  「デジタルテレビの普及により最新の放送予定がテレビ画面上で容易に確認できるようになり、また、簡単に番組情報を入手できるインターネット環境も大きく広がりました。そうした状況を総合的に検討した結果、『ステラ』を休刊することといたしました。・・・これまでのご愛読への感謝を胸に刻み、最終発行号まで従来以上に紙面充実に努めてまいります・・・後略」
  これが挨拶状の骨子である。
  紙媒体、ネットにやられるの巻。
  『ステラ』については、以前、送っていただいているのに、自分のコラムで内容に文句をつけたことがあった。細かいことは忘れたが、「・・・これではステラれる」とダジャレで〆た記憶がある。
  でも、私は『ステラ』の中で最も恩恵を被ったページもあって、それは、時々特集するNHKの全国に散らばっている男女アナウンサーの特集であった。何しろ500人とも言われるNHKのアナウンサーたちを、総て記憶なんかできないし、東京で見るアナウンサーはごく一部だ。この特集のお蔭で面白い発見があったのである。
  例えば、東京での「全中」、つまり全国中継のメイン番組にでていた好感の持てるアナウンサーが、「この頃見ないわねえ」と思っていると、この特集で、とんでもない関西とか中部とかの地方局に転勤していたりする。以前もハンサムな「麿」くんが「えっ、北海道に飛ばされたの?」と知ってびっくりしたことがあった。彼は週刊誌ネタによれば、ちょっとした事件を起こしたために飛ばされたと後に聞いたが、リストを見ていると、東京で見知った顔が遠くの九州にいたりする。このリストも無くなるとは残念である。
  美人で男好きのする女性アナが、元々は地方出身で、音声テスト(声質や訛りの有無を調べる)によく合格したなあと思う程度だったのに、美人は得する譬えの通り、東京管内で次々にいい番組をもたされる例があったりして、中々示唆に富んでいたのだ。
  さて、話は戻る。
  紙媒体の先細りの一方で、デジタルメディアはわが世を謳歌している。デジタル庁が出来たりして、益々隆盛の趣である。中学1年になったわが孫が、いっちょ前にPCの前で勉強していて、「僕たちは生まれた時からパソコンやスマホがある世代だ」と自慢げに言う。
  それはいいコトなのだが、私が懸念するのは、まず第1に液晶画面を一日中見ていると目を悪くしないのかという心配がある。
  それと、ニュースでもなんでも、食い足りない見出しもどきのサワリだけ読んで、総てがわかった気分になるのは間違っているのである。
  今、中年ぐらいの年の世代でも、新聞を購読しない家庭が多くある。デジタル慣れで紙媒体に興味がなかったり、住んでいるマンションが新聞紙のゴミだしに煩かったり、理由は色々だが、基本的に朝起きて、まず、「朝刊!」という習慣のない人種が増えたのだ。
  私は新聞社や雑誌社の回し者ではないが、私が紙媒体の価値として1番に挙げたいのは、余剰の文化・教養である。広告だらけのデジタルメディア画面と違って、一流紙の紙面にはニュースだけではなく、読んでいる読者には全く興味のない、関係がない文化記事や評論・解説記事がある。大きな活字で見出しが躍っている。
  大事件が起きた時にはテレビでもネットでも新聞でも、似たような大見出しで事件のあらましを伝える。こんな時には格別紙媒体が特徴を発揮するわけでもない。何と言っても速報性や映像の迫力でテレビに叶うものはない。 
  そうでない平凡な平時に、新聞を広げてみると、自分の関心事でもないけれど、知らない分野の作家や医者やスポーツマンや絵や音楽の芸術家が、ちょっとした批評や経験談や、チクリとした辛口のエッセイを書いていたりする。
  「後で読もうか」と新聞を置くが、ちょっと気になるから食後に急いで目を通す。これこそが得難い文化や教養に触れた一瞬で、「もっと読む」でちょん切られるネット文章にはない、紙媒体の「後で読める」ゆったり感、教養を広げる温かい時の得がたさを体感する醍醐味なのである。(2021.8.31.)
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