「ミロ展をミロ、と言われて、ミロ展を見に行った」

 ミロの名前は知っていたが、ピカソと並ぶスペインの大巨匠とは思わなかった。主催者の案内を読むと、カタルーニャ地方のバルセロナで生まれ(1893年)て1983年まで生きたというから、長寿芸術家であったのだ。
 1920年からはパリに出て人脈を築き、シュールレアリズムの運動にも参加。大戦中は戦禍を避けて各地を転々とした。
 1944年、つまり、大戦が終わってから、陶芸と彫刻の制作も始めた。その他に壁画や版画、詩も書いた。多彩な人だったのだろう。
 1965年(昭和40年)、毎日新聞の記者がミロのことを記事で紹介しているらしいが、私は夫が毎日の記者だったのに記憶していない。1970年の大阪万博で本人が来日している。
 一方の天才、ピカソに関しては、今から30年ぐらい前に、ヨーロッパ旅行の途中でスペインまで足を延ばし、マドリードで、返還された『ゲルニカ』を鑑賞した。
 余りにも有名な絵なので、ただただ圧倒された。
 大きさでというよりは、戦争の絵だから、色彩がモノトーンで、その、色の少なさがかえって迫力を産み、沈黙して隅から隅まで見続けたのである。
 たった今、現実の残酷な戦争がウクライナで続けられている。
 ブチャでの映像を毎日見ているが、ある時、ふと、ピカソの『ゲルニカ』を連想した。同時に、ロマン・ポランスキー監督の作った映画、『戦場のピアニスト』の最後に近く、主人公がふらふらと出てくる廃墟の場面も思い出した。
 正にピカソが描いたモノトーンの世界が戦争には、ある。
 物理的な色のない世界でもあるが、人間すべての精神の荒廃とでも言うべき、善も悪もない有無を言わせぬ破壊しつくした後の荒涼たる無の世界がそこにはある。
 天才画家のピカソには、物理的な廃墟の世界が、精神の殺伐たるモノトーンの風景に見えたのに違いない。
 対照的に今回の大規模回顧展が開かれたジュアン・ミロは、穏やかな人だったようで、ものすごく日本が好きで、民芸品を集めるやら、浮世絵の前で写真に写っているやら、嬉しいことに日本フアンの画家だったそうだ。
 彼は日本と相思相愛であっただけでなく、批評家の瀧口修造と親しい交流があった。
 優しそうな紳士のミロの来日中の写真があるのに、私は過去の彼の来日を知らない。
 だから、今回、何が何でもミロ展を見に行こうと思ったのである。
 ミロ展(2022.2.11-4.17)は現在、渋谷の文化村、ザ・ミュージアムで開かれている。
 私は4月初めの土曜日、えっちらおっちらバスを乗り継いて渋谷に出かけた。
 大学時代は渋谷が通学の通り道だったのであるが、巨大再開発が始まって以来、渋谷には寄り付かないようにしている。工事中で足元は悪いし、うっかりするととんでもない方に出てしまうので、JRの渋谷駅には絶対に降りない。
 だから、バスを乗り継いで到達したのである。
 文化村には本当に久しぶりで来た。NHK西玄関前でバスを降りて、渋谷・原宿臭(笑)のする道を通って文化村の建物に着いた。ザ・ミュージアムは地下である。
  私がここで用事があるのは大抵オーチャードホールだけだが、オーチャードホールの前は人影もなく、シンとしていた。地下に降りる。
  土日は人が多いので、事前にwebに30分刻みで登録させられた。私は11時30分からの回に入った。しばらく入口で待つ。
  ようやく入場する。国内では20年ぶりの回顧展だそうだ。
  ミロ展の副題は『日本を夢みて』である。
  宣伝文句は『ミロの日本への情熱を描く 大規模展は世界初!』だ。
  入場して早々、自画像が目についた。縞の背広を着たいかつい顔の男性の絵で、こんなに怖い顔の人かと思ったらとんでもない、来日写真は垢抜けた優しそうな紳士である。後の抽象画家は、自画像もすでにデフォルメしていたのか。
  百点以上もの膨大な点数なので、ここでいちいち書かない。途中でふらふらして(絵酔い?)してしまったので、全体の感想を書く。
  私はポスターにも使われている『ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子』という絵が好きだった。
  色彩はほとんど黒と赤と白だけ。緑がちょっと。真ん中が聖堂らしき白い空間で、その中に十字架や、顔らしきものや目らしきもの、音楽を表すのかギザギザの曲線などがある。
  外側の黒い空間には目やライトや十字架、三日月もある。
  しかし、何となく表題の聖堂らしきものが感じられるから大したものである。
  デフォルメされた絵柄の中に、好奇心をもった踊り子の音楽好きが見て取れる。
  どの絵画だったとは記憶していないが、全体を通してみて、私が気になったのは、多くの絵の中に、女のオッパイらしき乳首の付いた丸い2つの曲線が描かれていたことである。
  十代で鬱病を患ったと伝記に書かれていたので、芸術家らしく、内向的で「母の乳房」に象徴される異性への憧憬が深層心理にあったのか。
  私はイヤホンガイドも頼まず、図録も買わず、自分の感性で一通り見ただけなので、見当はずれかもしれないが、絶対にミロさんの絵にはオッパイが「ある」主張をしていたのは断言できる。
  さて、蟄居だらけのコロナ禍の中で、久しぶりに絵画展を見に行って、疲れたけれども心がわずかだけ満たされた。殺伐とした戦争のニュースの上に、近頃の私の専門分野のドラマたちは、殺しや誘拐など、負のテーマが多すぎて見るのに労力を要する。
  はっきり言ってワクワクするような作品はほとんどない。
  リアルの戦争も早く終わってほしいし、フィクションの世界ももう少し上質な作品に出会いたいものだ。
 「ミロ展をミロと言われてミタ」結果のコジツケである。(2022.4.10.)
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